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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■中越沖地震の記録 (45)
 原発では「解放基盤」という一定の固さの岩盤で想定される揺れを基に耐震設計をする。柏崎刈羽原発では1号機の地下255メートルに、解放基盤の揺れを測る地震計があった。揺れの強さの指標となる地震波の加速度は東西方向993ガル、南北方向753ガルだった。
 国の旧原発耐震指針は「事前に予測できない断層による原発直下地震」への備えを全原発に求めた。電力各社はこの地震の揺れとして、解放基盤で370ガル前後を想定してきた。全国17原発中8原発で、これが耐震設計上の最大想定だった。
 旧指針は、周辺の断層調査でより強い揺れが予測されればそれに耐える設計を求めたが、最大の中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)でも想定は600ガル、柏崎刈羽原発は450ガルだった。
 指針は昨秋改定され、「事前に予測できない断層による地震」の想定も引き上げられたが、それでも事実上450ガル程度にとどまっている。
 今月開かれた原子力安全委員会の耐震安全性調査プロジェクトチームでは、中越沖地震を「予測できない断層による地震」と位置づけるべきだとの指摘が出た。指摘に従えば、中越沖地震の993ガルが新たな共通想定となり、各原発は耐震策の見直しを求められる。
 指摘した同チーム委員の山崎晴雄・首都大学東京教授(地震地質学)は「地震の前に調査して分かるのは地下5キロ程度までの断層だ。中越沖地震の断層は余震分布からみて主に地下10キロ以上の深さで、見つけにくい」と説明。「全国の原発で中越沖地震程度の揺れを想定すべきだ」と主張する。
 経済産業省原子力安全・保安院は「東電の観測データの評価や、他原発の耐震補強に反映すべきかは、専門家に議論してもらう」と話している。【高木昭午】
毎日新聞 2007年8月26日 8時30分



4、自衛隊、柏崎市から27日撤収  新潟日報
 中越沖地震で災害派遣されていた自衛隊の支援活動が刈羽村の仮設風呂1カ所を除いて終了し、柏崎市からは27日、撤収する。これまで延べ9万人以上が派遣され、給食、給水、入浴などの支援が実施されたほか、地震発生直後、倒壊家屋から女性1人を救助した。しかし自衛隊と各市町村との連絡手段は電話しかなく、直接駆け付けるまで情報が伝達されにくい現状も垣間見えた。一刻を争う人命救助の現場へいかに早くたどり着けるか、関係機関との連絡体制が問われている。

 「声が聞こえる」。地震発生から4時間が過ぎた7月16日午後2時半ごろ、同市東本町2の倒壊住宅で屋根から家の中に潜り込んだ陸上自衛隊第2普通科連隊(上越市)の隊員が叫んだ。救助活動に当たった隊員20人や消防、県警、見守っていた住民は耳を澄ました。「助けに来たぞ」。隊員のその声に、再び答える人の声がかすかにがれきの下から伝わった。

 救助方法を指示していた和栗保男二曹は驚いた。3階建てだった住宅は崩れ、1時間前に到着したときは「生存者はいないのでは」と思った。「急がないといけない」。和栗二曹は屋根の進入口を広げるように指示。現場にはチェーンソーの音が響き、柱や壁、家財が次々と運び出された。

 30分後、住宅2階のベッドに寝ていた坂井ケンさん(84)を隊員が発見。「頑張って」と手を握り、酸素ボンベを坂井さんの口元に当てた。ベッドの真上に倒れていた太いはりをジャッキで持ち上げ、坂井さんをほぼ無傷のまま救助完了。それは午後3時37分に起きたマグニチュード5・8の余震直前だった。

 「初動が早かった成果」。同連隊の穴久保聡宏連隊長は振り返る。地震発生時、本県など4県の各連隊を統括する陸上自衛隊第12旅団(司令部・群馬県)の行事が新発田市の第30普通科連隊で開催されていたため、長谷部洋一旅団長ら幹部が顔をそろえていた。それぞれが一斉に各連隊へ内線電話で非常招集と情報収集を指示。派遣地域や役割分担も決めた。県からの災害派遣要請もその場で長谷部旅団長から各連隊長に伝達。要請は中越地震では発生から3時間後だったが、今回はわずか36分後の午前10時49分だった。

 その前後、ヘリコプターや無線中継班、地上偵察班などが各地から出動。坂井さんを助けた部隊は12時50分に柏崎市役所に到着後、市から救助要請を受けた。


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08月27日(月)
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