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『日々の映像』
by 石田ふたみ
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■ 死刑執行の遅れ「国民に不信感」=長勢法相
YもMもOもKも、僕より早く確定している。それなのに僕の方へ来やがった。ついたてのところでいったん停まっていた靴音が、再びいっせいに鳴り始めた。地獄の使者はいよいよ迫ってきた。もう駄目である。今に僕の部屋の鍵穴に、大きな鍵ががちゃりと差し込まれる。黒い制服の役人が、さっと部屋の前を取り囲む。教育部長に「いよいよお別れだよ」と告げられる。それで万事休すだ。あとは身支度をする。多勢の役人に引き立てられて刑場に行く・・
いやです!それだけは許して下さい。
両手を背中で組み合わせて手錠をかけ、身体を足の先まで縄でぐるぐる巻にして死刑台に立たせるのだけは許して下さい。僕の首に縄をかけて宙吊りにするのだけは勘弁してください。その他の償いだったらどんなことでもしますから、それだけは許して下さい。
両方の目の玉を抜き取って出せとおっしゃるなら、いつでも出します。両腕を切って落とせとおっしゃるなら、喜んで差し出しましょう。一生涯ここに閉じこめておいてもかまいません。せめて病気にかかって自然に死んでしまうまでは、このまま生かしておいてください。
靴音が、いっせいにやんだ。急に静けさを取り戻した廊下で、部屋の入り口の柱に取り付けられている鍵穴に大きな鍵を差し込む独特の金属音に続いて、扉をがっちり止めていた鉄のアームが、がたんと下に落とされた音が聞こえた。だがそれは、僕の部屋ではなかった。向かい側だ。
何房だろう?
いや、何房でもいい、とにかく僕ではなかったのだ。違っていた。僕はどうやら助かったらしい。
胸が熱くなった。涙がこみ上げてくる。しかし、この涙は助かった安堵と喜びの涙ではなかった。窓の外には明るい太陽が輝き、雀達が生命の歌をさえずりあっているというのに、鉄格子のはまった冷たいこの部屋で、こんなにまで死におびえ、靴音に震え上がらなければならない自分が急にこの上もなく哀れに思えたのだ。しかも高い塀の向こうからは市電の唸りや、自動車のクラクションなど、活気にあふれた物音が絶え間なく響いてくるのである。
同じ人間に生まれながら、たった一度のつまづきが、こうまで人生を変えてしまうのだ。僕はあふれる涙を何度も手の甲でぬぐった。
僕は廊下の気配を伺った。お迎えは31房らしい、とわかったとき、すぐに立ち上がった。はたして31房の前には、多勢の役人がつめかけていた。Oだ!
「Nさん、俺はもう少し生きたいんです」
二週間ほど前、涙を流しながらそういったOの言葉がよみがえってきた。
今年27歳。人並み以上に自尊心の強い小柄なOが、首をうなだれてそういったのだ。僕は一切を水に流すと答えた。あれが問題になったのだ。さもなければ、こんなに早く執行がくるはずはない。
30分あまりたった時、Oは身支度を終えて廊下に出てきた。手には新約聖書らしいものを持っていた。各部屋を順番に回って僕の所へきた。別れの挨拶である。
食器口を開いて顔をだした。その顔は紅潮していた。「Nさん・・」と声が詰まって、紅潮した顔がゆがんだ。泣いている。永遠の悔恨と永遠の悲哀をたたえた人間の顔である。Oは声もなく涙もなく泣いていたのだ。僕は食器口から手を出して、Oの手をつかんだ。けれども、何と呼びかけていいかわからなかった。ただしっかりとOの手をつかんでいた。
「Nさん、長いことお世話になりました。どうかこれからも元気で頑張って下さい」
「ありがとう。僕も君のために祈らせてもらいます。Kさん(有志の人)には僕から知らせておくからね」
言いたいことはたくさんあったが、それしか言えなかった。こうしてOは出ていった。彼の一生は、あっけなくきょうでおわるのである。
これが、当時38歳のNが書いた処刑の恐怖である。彼はこの11年後に移転した福岡拘置所で死刑を執行された。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/7136/kyoufu.html
10月27日(金)
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