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13匹目のバナナフィッシュ
by サキ
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■【R-15】SpiltMilk
「もったいない!泡も、ぜんぶいっちゃった!」
「豪勢じゃん。ハレムの風呂の使い方だぜ」
「女、ひとりだけど?」
「おまえで、百人分だからいいの」
こぼれたお湯の勢いがやっと収まってくる。
西日の強い部屋で、フローリングの床に、透明な体液と、白い体液と、赤い体液が、流れて、染みて、固まった。何度も。何度も。
ふたりは怠惰だ。きみは仰向けのままタバコを吸う。
「のど、乾いた」
無表情の声できみが所望すると、あたしが身体を起こして傍らのボトルを掴む。生のままのウィスキーなど、いつの間に飲めるようになったんだろう。瓶に自分の口をつけ、流し込む。口の中で揮発する感覚が嫌で、昔はロックでも飲めなかった。いつの間にか、揮発する分はほんのわずかだと知った。一口目を飲み込み、もう一口含んだ琥珀を、きみの上に跨って、目を閉じたままのきみの口に移してやる。微かにのどが鳴って、生きているんだとわかった。それを口にすると、きみはためらいなく言う。
「死んだんだ。でも、やっぱり死ねないんだ」
あたしは放り出されたコンドームを逆さにして、白い液体をフローリングにこぼす。それを指で延ばしてハートを描く。
「涙で絵が描けるか?」
いつの間にか目を開けたきみが聞く。
「そんなにいっぱい泣けない」
「それ、舐めろよ」
あたしは指についた白を舐めて向き直る。
「ゴムの舌触りがする、気がする」
きみはまた目を閉じている。
「俺の体液、ぜんぶ飲めるか?」
「胃液はやだな。髄液も、なんかやだ」
きみは目を開け、上半身を起こす。
「おまえ、よくそんな気持ち悪いことばっか出てくるな。もっとメジャーな液でいいよ」
「ぜんぶって言ったじゃない。メジャーな液って。変な表現」
きみはまた、目を閉じて仰向けに倒れる。あああ、と欠伸とも悲鳴ともつかない声を上げる。
「血が止まらない、気がする」
あたしの爪が引っかいた跡を指して言う。止まらないどころじゃない。ほとんど、滲んでもいない。
「全身の血がアルコールになって沸騰してる、気がする」
「沸騰したら、揮発して水になるよ」
「もったいねぇなぁ」
「じゃあ、飲むよ」
ハート型の白い液体は、すでに固体じみている。ミルクというより、ババロアだ。
たくさんのものをこぼしてしまった。覆水盆に返らず。英語では、こぼれたミルクのことで嘆くなとかなんとか。たくさんのものを、もったいないと思いながらこぼしてしまった。誰かがこぼしていった、電車内のコーヒー。落とし主はそれに気づいたのだろうか? 多分、気づいたろう。でも、戻ってはこなかった。こぼれた液体は戻らない。それをもったいないと思っただろうか? それはわからない。
あたしは、なにを本当はこぼしてしまったんだろう。とりかえしのつかないなにかを、こぼしてしまった感覚だけがある。それは、後悔とか、虚無感とか、そういうことばで表現できるものじゃない。
きみは、背が高かった。だから、西日に見送られながら、去っていく影が、長く、長く、長く、延びて、あたしが最後に見たきみは、その黒い影。いつまでも途切れることがないような、そんな黒い影。けれど、途切れた。気づいたときには、きみがそこにいたという痕跡だけが、そこに。きみはギター以外は、連れていかなかった。だから、あたしはきみの痕跡を、自ら殺さなくちゃいけなかった。けれど、壁紙に染みついたヤニと、床に染みついた液体の跡だけはそのままで。
あたしは、本当に、本当はなにをこぼしてしまったんだろう? ウーロンハイよりも、バスタブいっぱいのお湯よりも、いろんな色の体液たちよりも、持ち主不明のコーヒーよりも、もっと大事ななにかをこぼした。それは時間か? きみといた時間。きみが去ってからの時間。しっくりこない。それはきみか? きみの流動的な笑顔を固形化して、あたしの隣にとどめておくべきだったのか? いいえ、これは納得して選んだ結果。それじゃああたし? あたし自身をぐるぐると、排水口に流してしまったのか? これが一番、正解に近い気がする。でもやっぱり、答えではない。
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03月18日(木)
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