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13匹目のバナナフィッシュ
by サキ
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■迷子石
まず、冒頭の神社はものめずらしさもあいまって、一気に参詣人が増えた。迷子石に人探しの願をかけに来る者も多く、石の別名、「奇縁氷人石」が男女の縁結びにも転じていることが触れまわされ、さらに参詣人は増大した。そうなると神社のほうでも、縁結びや失せもの探しのお札やお守りを販売を開始する。それを浅ましいとは言い切れぬのがそんなものを必要とする人の情で、いつのまにか縁結び神社として定着してしまった。
それから新聞社のほうには、毎日数十通の、当時“みや 五歳 をんな児”だったと自称する手紙やらなにやらが届き、さらには涙声で電話をかけてくるものすらあった。けれど、どれをとっても結局は悪戯でしかなかった。数ヶ月も経つと、すっかり鳴りを潜めてしまった。
そしてさらに数ヶ月。
多くの人が、これら一連のことを忘れ去ったある日の朝刊に、小さく、投書めいたものが載せられた。
拝啓
過日は○○神社迷子石の件でお騒がせいたしました。あのように取り上げていただけて、大変感謝しております。
迷子石に張り紙をしたのはわたくしでございました。しかし、あれにわたくしの名前は出ておりません。
みやというのは、わたくしの母、きくというのは母の実母の名前でございます。
母、みやは明治43年の正月に、神社参詣時に母親とはぐれたそうです。とりあえず保護はされましたが、親は迎えに来ず、孤児となり、わたくしの父と結婚するまで、ひとりで生きてきたひとです。
母は捨てられたということはよくわかっていた、と言います。良家の子女であった母がそんなことを言うのには理由があるのですが、ここではそれは言えません。お許しください。
そんな人生を生きてきて、大変気丈な母でしたが、歳もとり、夫であるわたくしの父を亡くし、そんな中昨年病気をしてからというもの、ずいぶんと気弱になりました。無理もないことと思います。そして、口癖のように昔のこと、そうです、明治43年の正月のことを言うようになりました。
「あのとき、母が探してくれていたら……」
と。
そんな母を見ながら、わたくしは迷子石のことを思いついたのです。母の夢にでも母を探す張り紙が出てきてくれればと、願掛けのような気持ちであの日、迷子石に紙を貼り付けました。母を捜していることを知らせる一方で、母はここにいるのだと知らせたい気持ちで、「たずぬる方」、「おしゆる方」の真ん中に紙を貼り付けたのはそのような理由からでした。
その後、母の夢枕に実母が立ったそうです。母はわたくしに涙を流しながら何度も話してくれました。
「お母様が探しにきてくだすったんだよ。……ごめんねと……探したんだよと……一緒に帰れなくてごめんねと……。帰れなくとも、それだけで充分なのに。ねぇ。……ほんとうに、ほんとうに……」
先日、母も他界いたしました。きっと、本当に、実母に迎えられたのでしょう。そう信じられるほどに、安らかな臨終でした。
わたくしは、母と母の実母を結び合わせてくださった迷子石と○○神社様に感謝をささげます。そして、貴社のおかげで○○神社様が多くの、離れ離れになった親と子を結びつけてくださるようになったことに感謝しています。ありがとうございました。
かしこ
××新聞社様ならびに関係者の皆様
みやの娘
02月02日(水)
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