ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■ACという概念について
回復は上り坂だ・・・というエントリを書こうとしたら、すでに書いてあったので、別のネタを書かねばなりません。

というわけで、「AC概念の拡大とミスマッチ」というネタで書きます。

最近あっちこっち行くと、「ブログ読んでます」と専門職の人に言われることがあり、この雑記は素人として書いているとはいえ、あまりいい加減なことは書いちゃならない、と思ったりすると、何か書くたびに資料を調べたりして、手間がかかるようになりました。

しかし、別に論文書いているわけじゃないんだから、論拠なんかできる範囲で提示するだけでいいんじゃないか、と思い直して、書きたいことを雑記で書いていくことにします。

「共依存」という言葉が登場することは少なくありません。しかし、最近は共依存という概念があまりに拡大されてしまったせいで、人によって何を指して共依存と呼んでいるのか違っていたりします。それを確認せずに話を進めると、話が噛み合わないこともしばしばです。

共依存という概念は、ACという概念と同時に誕生したのだそうです。「アルコール依存症の家族にはアルコール依存症本人と同様の傾向が見られるのではないか」ということが、1970年代のアメリカの援助職の中で言われるようになりました。

本人と家族の両方に共通した傾向とは何か? それは「自己中心性」だとされます。

AAの基本テキスト(ビッグブック)には、自己中心性には二種類の現れ方があるとされています(p.88)。

ひとつは、「意地悪で、利己主義的で、わがままで、不正直」というパターンです。これは傍目にも分かりやすい自己中心性です。demanding つまり、自分本位の要求をたくさんするタイプです。

もう一つは、「親切で、思慮深く、忍耐強く、寛大で、節度があり、献身的」というパターンです。こちらは自己犠牲的で望ましいことじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、献身的である背後には、人や物事を自分の思い通りに操りたいという自己中心性が隠されています。親切タイプの自己中心性というやつですが、実は策略家です。

一人の人間の中には、この二種類の自己中心性が同居しており、状況に応じてどちらかが出てくるわけです。虐待的な環境にある人は、後者のパターンを多く身につけるとされます。

想像してみてください。ある家にアルコホーリクの男がいたとします。彼は日中は働いているが、夜は家で大酒を飲み、不機嫌になれば家族に嫌みを言い、時に暴れ、飲み過ぎて仕事を休んでしまうこともある。だが、そんな人に収入を頼って生活を続けていかなければならないとしたら、他の家族(彼の奥さんや子供たち)はどんな対応をするでしょうか。

ともかく彼に仕事を続けてもらい、家の中もなるべく平穏にしたいと思うのなら、なるべく穏便に、彼には気持ちよく酒を飲んでもらい、気持ちよく寝てもらい、翌日は気持ちよく仕事に行って欲しい。そのために、忍耐強く、献身的、自己犠牲的な対応を身につけたとしても不思議じゃありません。

このようにして、酒を飲み続けるアルコホーリクと、その人に頼りつつも飲む生活を支える家族の関係が出来上がっていきます。この両者は一見対照的でありながら、実は同一の自己中心性を備えています。

家族は大酒を飲んでいるわけではありませんが、大酒飲みと暮らすうちに本人と同様の性質を身につけてしまう。本人の病気は alcoholism ですが、酒を飲んでいないのに、大酒飲みと同様になってしまった家族を指して、para-alcoholism あるいは co-alcoholism という言葉を当てはめました。

para という接頭語には「側」という意味があります。アルコホーリクの側にいることで(大酒を飲んでいないのに)アルコホーリク同様になった家族という意味です。co という接頭語には「共同の」とか「相互の」という意味があります。アルコホーリクと共同生活を送るうちに、相互に影響し合ってアルコホーリク同様になったということです。


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03月03日(月)
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