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ひぽこんコラム
by 和田
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 昨夜から胃が痛くなり、その後、のぼせと頭痛、その後不整脈。あちこちあちこちひどくなって、このまま死ぬのかな?と思いながら安定剤を倍飲んで、どうにか横にはなっていたものの、調子悪く。。。それでもマダムが怖いからバイトには行ったけど、やっぱり調子悪くて帰ってきた。

 脈が飛びながら揚げる揚げ物。。。。じゅうううう。

 無理がある。。。

 マダムは「早くよくなってね」といい。
 意外と出来るおばちゃんが冷たい目だったな。。。。うん。


 
 帰ってきたらミュージックマガジンが届いていた。中村とうようさんの遺書めいた原稿があって、その前にれい子師匠らの追悼文があった。

 これ、師匠の追悼文があって、ほんと、よかった。とうようさんの文がポンとあるだけだと、つらい。

 うちとこ師匠しか知らない、とうようさんのほのぼのした横顔が垣間見れて、ああ、この人はこうやって人生を楽しんでもいたんだなぁ〜、そうか、やっぱり寂しがりやで弱い人だったんだなぁ〜とわかってよかった。

 ただ、厳しく、自分の美学を貫いて死んだ、なんてのじゃないのがよく分かった。そうなんだよね、弱かったから、本当はみんなに助けてほしかったんだよなぁと思った。だってもう、お年寄りだった、十分に。もっと甘えればよかったのに。でも甘えるのがへたくそすぎたんだ。人生で甘えるということを、学ぶことができなかったんだ。そうかそうか。。。

 今、たまたま昔のベストセラーの「悼む人」を読んでいるが、あれは、死んだ人を悼んで旅をする人が軸になっている。

 ここで死んだ、ここで殺された、この人は、どんな風に誰に愛されていましたか? 誰に感謝されていましたか?

 聞いて歩き、悼む。

 中村さんという人が自死を選んで、あるパブリックイメージでその死が語られ、その人となりが語られる。でもそれはまた一面にすぎず、その人はもっともっといろんな顔がある。

 そういうのを知ることはすてきなことだと思う。

 昔、福田一郎先生が亡くなったとき、業界の人たちは先生のことはあんまりよく言ってなかったけど、亡くなった後に、内縁の奥さんに連れられて、先生が通ったお店とか、先生が毎日行っていたコンビニとかに行って、そこでみんなが涙流して、先生のことを話すのを知って、ああ、こういう風にこうして生活して、こうして愛されていたのだと知って、それを知れたことはすごくいいことだった。

 中村さんは甘えるのが出来なくて死んでしまったが、最後に自死したことそれ自体が最大の、最後のみんなへの甘えだったなぁと思う。そして中村さんが大好きだったうちの師匠が、泣いて泣いて追悼文を書いたことで、それこそ中村さんからうちの師匠への人生最高の甘えで、なんか、すごく中村さんの思いが報われたような気がする。よかったよかった。

 
08月22日(月)
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