ID:1657
東京の片隅から
by はる
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■助ン嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件
「助ン嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」を見た。

日本初上映時には見逃し、日本最終上映と銘打って今は亡きシネ・ラ・セットで見たのが1998年。それから20年、スコセッシのフィルムファウンデーションにより4Kデジタルリマスタリングで再生された。ありがとうスコセッシ!
前回見たときはフィルム交換トラブルで途中休憩が入り(苦笑)集中力を削がれて映画の記憶は曖昧だったが、今回は無事鑑賞。久しぶりに「映画」を見た、という感想しかない。
スクリーンにしか映せない「世界」があった。

上映時間は4時間近くあるが(236分)、映像が散漫だったりストーリーが冗長だったりすることがない。それは希有なことだ。
そして今回のパンフレットで知ったのだが、楊監督はキャラクター全ての人生を作りあげてからこの映画を撮ったとのこと。(「300回分のドラマが作れるくらい」らしい。何という設定厨!)だからこそのあの密度なのだと納得。

もともと光と影のコントラストが特徴的な映画だったが、それは裏を返せば「画面が暗い」ということであり、夜の場面はよくわからないところも多かったわけで、それが今回のリマスタリングで映像が鮮明になり、陰影、特に暗がりの豊かさ、光の鮮やかさがより鮮明になった。それだけに懐中電灯というアイテムの光=希望の象徴性が際立つように感じた。
今回目についたのは望んで台湾に来たわけではない大人たち。巻き込まれ、しがらみで台湾に移り住まざるを得なかった、そしてもう故郷には戻れないだろうという予感による焦燥といらだち。古い日本家屋、小学校の割れたガラス、ペンキの剥げた壁、軍の車列、荒れた社会がこどもたちに伝染していく様がヒリヒリする。時計(大陸に戻った恩師からのプレゼント)がなくなったことで大陸とのつながりが切れたことが暗示され、いつも懐中電灯を手にしていた小四がそれを置いて刃物を手にしたときに彼の世界が闇に飲み込まれてしまったことがわかる。出てくる人や小物に全て意味があるのがすさまじい。
そして初出演・初主演の張震がかわいい(笑・いや40歳になってもかわいいけども・・・!)年相応の子供っぽさと背伸びした行動と表情。実の父と兄が映画の中でも父親役と兄役というのも良かったのかもしれない。家族に対する表情は素のそれで(実際には演技しているのかもしれないが)何度も父と自転車を押して歩くカットでの肩のラインが親子して同じで、でも退学処分になった時のカットは空気感が明らかに違う。
そして学生たちの中にあって一人だけ異質な空気をまとうリサ・ヤン(楊静怡)の異物感。美人とか可愛いとかそういう感じではないのだが、確かに彼女は少年たちを破滅に導くファム・ファタルである。諦観をはらんだ無表情がぞっとするほど魅力的。

中華電影を見るときはヒアリングしながら字幕を追い、映像から情報を受け取るという同時進行作業なので、見終わると頭痛がする。今回4時間なので肩もがちがち、尻も痛いけど(苦笑)見て後悔なし。というかまた見たい。
04月10日(月)
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