ID:1624
カンゲキ★日記
by Ruby
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■◆ 映画『永遠のマリア・カラス』フランコ・ゼフィレッリ監督、ファニー・アルダン、ジェレミー・アイアンズ、他
珍しく映画について...
フランコ・ゼフィレッリ監督、
マリア・カラス: ファニー・アルダン、
ラリーケリー(プロモーター):ジェレミー・アイアンズ、
オペラの演出や、映画「ロミオとジュリエット」等たくさんの名作を生み出したフランコ・ゼフィレッリ監督作品。
個人的にもよく“マリア・カラス”を知っていたということで、期待して見に行ったのですが、ウーム…何かしっくりこない…。
カラスが最後に舞台に立った日本公演後、亡くなる以前のほんの何年間を想像とフィクションで作り上げたという作品ですが、その設定に少々違和感を覚えました。
話を簡単にまとめると、
日本公演で声の衰えを自覚したカラスは、パリの高級アパートに引きこもり、外部の人間とはほとんど交流しなくなっていたが、かつてのプロモーター(何故かホモ設定)が訊ねてくる。
そして、彼女に、“今でも並び立つものがいないほど素晴らしい演技力をいかして、彼女を主役にオペラ映画を製作したい。しかし声だけは昔の最盛期の頃の音声を重ねて、伝説の「マリア・カラス」を復活させる”という企画を提案する。
カラス最初は断るが、心の底では、「表舞台にもう一度立ちたい」という気持ちが拭えず、毎夜、自分の最盛期のレコードを聴いては、役になりきり歌うが、声が出ずに泣きはらしている。
そんな姿を目にしてしまったプロモーターは、改めて彼女を説得し、実際に舞台に立ったことがない役、オペラ『カルメン』を撮る事になった。
映画は試写段階で絶賛されるが、根っから芸術家の彼女は、
「所詮、本当の声で歌っているものではなく、過去に録音されたものを重ねただけのまやかし…。今まで積み重ねてきた自分に嘘をつく事は出来ない」
そう考えるようになり、公開中止をプロモーターに告げる。
そして、再び自分の声で歌いたいと宣言するが…。
と、大体こんな感じ。
*始めにまず、素晴らしいところは、劇中『カルメン』の映画撮影場面の出来。
夢の場面のように全く色彩やトーンが、現実を映し出す場面とあきらかに変えてあり、とても美しく迫力に満ちていました。オペラシーンは必見ですね。
*シャネルの衣装に身をつつんだ時の、カラス役を演じたファニー・アルダンは、本当のカラスの雰囲気を作り上げていた。ゴージャスな女ぶり。
難しい役を大熱演していました。
*それと、使用された、カラス歌唱のアリアの素晴らしさ。これはさすがにイイ!
反対に気になったのは、このフィクション作品を作った意味まで考えてしまう内容。
事実を追う方が、どうしても素晴らしいと思えてしまいます。
だって何と言っても、彼女の人生は、幸福も不幸も、人の何倍もの濃い一生でしたし、それと比べると、なんともしょぼく、こんなものではないでしょうと突っ込みを入れたくなってしまいますね。
貧しい移民の少女時代 → 歌手デビュー、結婚 → 過激なダイエットで美を極める → 名声 → オナシスとの交際 → 舞台の充実 → オナシスとの別れ(オナシスはケネディ未亡人と結婚) → 歌手活動停止 → パリで死去
すごい人生ですよね。
少しでも、過去の人生を匂わす場面を描いてくれればよかったのに、キーワードとして、オナシスやジャッキーの名前や写真が一瞬出てくるだけ。何も知らない人は、何が何だか解らないと思うなぁ。
声も愛も失って、外にも出ずに引きこもっていたという理由付けが薄いのよね…
ゼフィレッリ監督が、オペラを愛しており、しかも大巨匠であるということに期待しすぎてしまったかも。
あと、一番萎えるのは、しょうがないと思いますが、女優のファニー・アルダンの歌の場面にカラスの曲を重ねるという手法が、本編であれほど、“まやかし”と言って否定している内容の根源なんですよ。
要するに、作品として(カラスの言葉として)否定していながら、その方法を使わなければ、この作品が成り立たないという苦しさを感じてしまうのです。
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08月21日(木)
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