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カンゲキ★日記
by Ruby
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■◆『三月大歌舞伎』(夜の部)  仁左衛門、勘九郎、玉三郎、富十郎、芝翫、左團次、弥十郎、他…
 
歌舞伎はいつ観ても、その生の舞台の迫力に圧倒されたり、アドリブに大笑いしたりと、その素晴らしさ、面白さを毎回感じていましたが、今回ほど華のある役者が勢ぞろいの舞台は、毎度の事では無いので、楽しみに出かけました。
今回は歌舞伎が好きな母と出かける筈でしたが、ケガで入院してしまいましたので、急遽、観るのが初めてという従妹を誘いました。
初めてでも解りやすくと思い、イヤホンガイドも借りて舞台を拝見。彼女も大変楽しんだ様子で感動したそうです。


【傾 城 反 魂 香】

絵の師匠である、土佐将監光信〈左團次〉のもとに、お見舞いに行く主人公の又平〈富十郎〉と妻のおとく〈芝翫〉。
忠義心もあり土佐派の絵師である(土佐の名前を与えられていないが)主人公の又平は、真面目で実直ではあるが、不器用で“どもり”というハンディの為、おとうと弟子の修理之助〈勘太郎〉にも出世の先を越され、何とか手柄を立てて、“土佐”の名前を与えてもらいたいと、遠方から師匠のもとに通っています。
しかし、どう願っても、訴えても師匠に訴えは通じません。
そこへ主家の姫君を救出するという、手柄をたてるチャンスがめぐってきます。
ですが、師匠は、おとうと弟子の修理之助に助けに行くように命じます。
唯一のチャンスも逃し、生きる希望も無くなり“どもり”を嘆きながら夫婦で死のうと覚悟して最後に、この世に生きた証として、庭の手水鉢に一世一代の自分の絵を残そうとしますが…。

この演目を観るのは二度目になります。以前も又平役を富十郎さんが演じたのを拝見していました。
不器用な夫と、主人を思う少々お喋りで気のいい女房。
この取り合わせに可笑しみもある分、思うように自分の気持ちを話すことが出来ない“どもり”というハンディのもどかしさ。
師匠に伝えたくても伝えきれない心の内が、セリフや演技から悲痛な叫びのように聞こえてくるかのよう。

また、今回の女房おとくを演じた芝翫さんは、夫が話せない分、変わって一生懸命話す前半は楽しい劇になっているのですが、後半のどうする事も出来ず、死を覚悟する場面の悲痛な嘆き、身体自体に不足があるわけではないのに、ただ“どもり”というだけで、なぜこんなに惨い想いをしなければならないのか…。
涙を誘う迫真の演技には、強い夫婦愛を見せつけられ、胸に迫ります。
以前観た時より、かなりホロリときて、地味目な演目ですが、心に強く残りました。

そう、話の終盤は、一心不乱に手水鉢に書いた絵が、不思議な事に、石の反対側に抜け出て、その奇跡のような現象を観た師匠に、“土佐”の姓(武士の資格も得られる)と、衣服、刀、印可の筆を贈られ、喜び勇み姫君救出に赴くのでした。

〔*注 不快に思われるかもしれませんが、セリフで吃音の事を“どもり”と表現していましたので、あえてこの言葉を使用しました〕


【連 獅 子】

実に華やかな親子共演。狂言師のちに親獅子役は中村勘九郎、子獅子役に勘太郎、同じく七之助という、観客が見たくなるような配役ですね。
こういった舞踊作品を見るとき、振りの一つ一つに込められた意味の深さを知るのに、イヤホンガイドは有り難かったです。
初めは3人とも狂言師で登場します。そして、勘九郎の親狂言師が、文殊菩薩の霊地である清涼山の様子を、中国の壮大な風景を映し出すように重厚に舞い、遥かな景色が目に浮びました。

つづき、親獅子が子を谷に突き落とし、這い上がってくる子のみを育てるという故事を3人が舞います。
大変迫力ある踊りで、男性ならではの力強さを感じました。
この場面は、獅子親子の試練に耐える姿ばかりでなく、“芸の道”やその他の過酷な訓練、厳しさに耐えることにも読み取れるところのようです。
勘九郎の突き落とした子を心配する演技や、一直線に親のもとに這い上がろうとする子獅子の一途さも良く表現していたと思います。
それに、勘九郎がいつも見せる軽みとは全く違い、役に対して深く洞察したことがうかがえる出来でした。(ここまではまだ狂言師の扮装)


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03月12日(水)
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