ID:1488
頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■ほら吹き
K−1を見ながら書いている。
ぼくはK−1のことはよく知らない。
テレビでK−1をや見る時は、「これとキックボクシングと、どう違うんだろう?」といつも思っている。
またその連想から、沢村忠やロッキー藤丸の名前を思い出したりしている。
キックボクシングは、ぼくが小学校高学年から中学にかけて、一大ブームを起こした格闘技だった。
その中でも、沢村忠はひときわ目立っていた。
プロレスでいえば力道山、野球でいえば長嶋茂雄、ボウリングでいえば中山律子的な扱いの人だった。
いわゆる時代の寵児である。
この人の半生をつづったアニメ『キックの鬼』は、クラスの男子全員が見ていた。
また、カネボウハリスが発売していた『キックガム』の点数を集めたらもらえるメダルシールは、当時の男子の憧れの一品だった。
他にも、チャンピオンベルトをもらえる企画などがあった。
沢村忠といえば、いつも思い出すことがある。
キック全盛の頃、ぼくは柔道を習っていた。
講道館指定の町道場に通っていたのだが、そこの先生の思い出である。
先生は、柔道家というよりも、実業家タイプの体格をしていた。
事実、ある会社の創業者だった。
柔道は八段で、他にも数々の古武術の段位や、柔道整復師などの国家資格を持っていた。
今でも先生の名刺を持っているのだが、名刺にはそういう肩書きばかり書いている。
さて、この先生、肩書きどおり腕も達者だったのだが、口も実に達者だった。
確かに実績のある方で、文化勲章などをもらったり、新聞雑誌に紹介されたりしていたのだが、それ以上に言うことが大きかった。
いつもいつも、自慢話を聞かされたものだ。
時には、「力道山は先生が教えた」などという、大それたことを言うこともあった。
ある日のこと。
突然先生が「今度、沢村忠が先生を訪ねてくる」と言い出した。
ぼくが「先生、沢村忠知ってるんですか?」と聞くと、先生は「おう、沢村忠はなあ、先生の弟子だ」と言った。
「沢村忠は、先生のところに泊まるんですか?」
「おう」
みんな、「すげえ」「会いたい」などと言っている。
ぼくも会いたかった。
「で、いつ来るんですか?」
「○月×日の土曜日に来る」
「え、本当ですか?」
「おう」
ということで、みんなその日を楽しみに待っていた。
ぼくは学校で柔道を習っていることを、誰にも言ってなかったので、沢村忠の件も口外しなかった。
しかし、他の人はその通っている学校でかなり広めたらしい。
そのため、沢村忠に会いたいという理由で、道場に入門する者も出てきた。
さて、その○月×日土曜日。
土曜日の練習は、午後3時から5時までだった。
しかし、その日はみな学校が引けてから、すぐに道場にやってきた。
1時半には、大半が集まっていた。
誰もが、沢村忠を見たい一心だったのだ。
しかし、練習が始まるまで、沢村忠は来なかった。
練習が始まったが、誰も真剣にやっているものはいない。
いつ沢村忠が来るのか、そればかりを気にしていた。
途中で先生がいなくなると、「沢村忠が来たんやろうか?」などと言っている。
一時して先生が戻ってくると、「先生、沢村忠は来ましたか?」などと聞く。
結局、沢村忠が来ないまま、練習は終わった。
誰もが、
「沢村忠、何しよるんかのう」
「おれ、ちょっと待っとこう」
などと言っている。
5時半を過ぎた頃、先生が戻ってきて、「何をしよるんか。早く帰りなさい」と言った。
「でも、沢村忠がまだ来てないけ・・・」と誰かが言うと、先生は「沢村忠から、さっき『夜中になる』と連絡があった」と言った。
一同「ええっ!」、であった。
しかたなく、みんな帰って行った。
しかし、ぼくは残っていた。
道場の奥に、こそーっと隠れていたのだ。
7時が過ぎた。
まだ来ない。
8時になった。
もうだめだ。
結局あきらめて、家に帰った。
しかし、ぼくは癪であった。
で、次に道場に行った時のこと。
誰もが「しんた君、沢村忠来た?」と聞いてきた。
ぼくは「おう、来たよ」と言った。
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04月21日(日)
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