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すうみん日記
by すうみん
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■「振り回される」ということ
「僕マド」のハセキョーによる「振り回し」も佳境に入ってきた。
さて、「振り回される」ことは、昔も今も存在してるはずだが、昨今の「振り回され」方は、従来よりも過激な感じがする。
「振り回す」人と「振り回される」人がいるとすると、「振り回す」人は、いわば「リーダー」である。
従来、「リーダー」となる人は、確固たる「信念」とか「理念」とかに基づいた行動をとっているように見えた。しかし、昨今のリーダーの頭の中の動きや心の中の動きは読みにくい、てゆーか、コロコロ変わりやすい。てゆーか、誰がリーダーなのか、リーダーそのものも交代してしまう。
55年体制の崩壊から10年。
この間、体制の激変と改革(?)に向けた動きと、従来の既得権益を死守しようとする動きや旧来型の発想からの転換ができず意識の変わらない人の動きなどが交錯・混乱し、結局、この10年を振り返ると「振り回され」ることが活発化したといえる。構造改革が道半ばの現状にあって、改革が進もうが「振り戻され」ようが、今後、もっともっと「振り回し」「振り回され」が活発化することは容易に想像がつく。
従来、われわれのような小市民は、「お上」や「上司」や「経営者」などの「リーダー」の「ご機嫌」を損なわないように「目指すべき姿」からブレイクダウンされた「課題の解決」の達成のために、プランニング・スケジューリング・プラクティスを着実に行う能力を身につけてきた。
しかし、「目標」や「課題」がコロコロと変わってしまう現状においては、結果的に「振り回される」ことになることが多い。
55年体制は、わが国の高度経済成長に極めて有効に機能した。政官財の「鉄のトライアングル」と呼ばれた強固な結束体制は、まさに日本の「リーダー」であり、われわれ小市民は、「リーダー」に振り回されるのでなく、「ついていく」ことで大なり小なりの恩恵を受けることができた。国内産業の保護、公共事業のバラマキ、護送船団方式による民間競争力の調整、官業による政策的サービス・・・。これらがことごとく否定され世の中が変わってしまっている。しかし、人々の意識や行動は、なかなか変わりばえしない。そして、過去の成功体験をもった人々が頭の固い世代となって組織内で君臨し、変化を主体的にとらえることができず、受動的にプランニング・スケジューリング・プラクティスを繰り返し、振り回されている。
55年体制崩壊後における、政治家、官僚、財界の動きはそれぞれの思惑に終始し、てんでバラバラで、このことも小市民が振り回される要因となっている。
さて、こんな状況のなかで、新人類(これ死語か?)は別として、われわれ旧人類の意識や生き方も再考の余地がある。要はアフォみたいな「振り回され」方をしないように「受動的でなく主体的に変化をとらえる」必要がある。光が動けば影が動くが、影が光を動かすことも考えないといけない。
「僕マド」のタッキーは新人類らしく、自然にそのような動きをとろうとしている?
われわれ旧人類は、お気に入りの女の子に好かれようと(ご機嫌をとってこっちを向いてもらいたいから)、過去の成功・失敗体験に基づいたプランニング・スケジューリング・プラクティスを行うが、いまどきの女の子の発言・行動を受動的にとらえていては、折角の苦労が水の泡になる可能性も高い。
いまどきの女の子は、男性の三歩先を歩いている。そして、歩く方向は、どっちに行くかわからない。
わからないけど、変化があることを心得て、おおらかに対処していくのがいいのではないだろうか。
09月07日(日)
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