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えびたま
by くにひた
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■終わると雷も雨もやんでいた
中尊寺パーキングエリアで目が覚めた時
既に雨降ってた。
泪雨。
日曜に亡くなった、元AUNホール管理人・大泉さんの
葬儀に向かうため、朝早い高速バスに乗った。
肴町周辺で盛岡在住、ゴムマリのよな先輩・Bさんと
劇団よしこ代表・大沼さんと落ち合い
名須川町にある天台宗清養院へ。

ものすごい弔問客。
盛岡の演劇人が一堂に会しているというくらい。
供花も劇団名ばかり。
演劇人は死んではいけない。
演劇人があれだけ集ってるのに
誰も話さず飲まず笑わず、ただ泣いているなんて
痛々しすぎる。
そしてどこの劇団名も
しめやかな場には向かない。

5人の方々が読んだ弔辞は
どれも哀しすぎた。
架空の劇団のくらもちさんが、市の演劇協会会長の文を
代読したのだけど
介添えのお坊さんがマイクを外そうとしたその時
泣きながら大泉さんに呼び掛け始めた。
「早すぎるよ」「信じられないよ」と。
「今にも原チャに乗って『誰の葬式?』って
現れそうなのに」と。
「もっといろいろ一緒にやりたかったよ」と。

大泉さんは、若い演劇人を慈しんでくれてた。
どんなにつたなくつまらない芝居でも
真剣に批評してくれる
一番近しい大人の演劇人だった。
それと同時に素敵で大きな役者で
盛岡のアマチュア演劇界には欠かせない人物だったはずだ。
だから、高校生だったわたしたちは
大泉さんと知り合えたことが
ものすごく嬉しく誇らしかった。

葬儀が終わって境内に出ても
誰も帰ろうとしなかった。
千春さんの出待ちしてるみたいだな、と思った。

見回すと、高校時代一緒に芝居した友人も
ちらほらいたのだけど、わたしには気付かない様子だった。
この人たちには、わたしが盛岡を出た後
13年分多い千春さんと過ごした時間がある。
彼等の哀しさとわたしの哀しさは明らかに違い
例えわたしが泣いても、それはもらい泣き程度なのだ。
盛岡にいた3年間、もっと出来ることがあったのかも
知れないと、今になって思った。
もっとお世話になっていたかったと思った。
彼等がうらやましく
もらい泣きしか出来ないのが悔しく
葬儀でわたしは泣かなかった。

夕方のバスで仙台に戻る。
家に戻る前にあべひげに行き
お水をもらいお清めをしてもらう。
お前の居場所はちゃんと仙台にある、と
あべさんが言った。
仙台で、後悔しないくらい、
動けるだけ動けばいい、と。
08月22日(水)
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