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抱茎亭日乗
by エムサク
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■『十八代目中村勘三郎襲名披露五月大歌舞伎』,『キリンシティ』,『檸檬屋新宿』,帰ってきたギネス君
 母と歌舞伎座。11時開演で16時まで。
2万円のチケットだから1秒たりとも見逃したくないが、20分ほど遅刻。勿体無い。

母も10分ほど遅れて着いたらしい。お囃子、台詞に合わせてずーっと頭を振っている。
休憩時間に「ロックコンサートじゃないんだから、やめなさいよ」と注意したら
「そうだった?昨日眠れなくて、寝ちゃった」と母。
次の幕でも頭を揺らしているので肩に手を置いて止めさせる。
しかし、バッグからハンカチを取り出したり、ジャケットを脱いだり着たり、激しく咳き込んだり、全く落ち着きがない。

後ろの席の人も紙袋をガサガサやっているので注意する。
「でもやめない」と後ろのお婆さん。
母が前のめりになって咳をしていたら、今度はそのお婆さんが後ろから母の肩を叩いてきた。

そんなバトルをしながら、『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』車引、『芋掘長者(いもほりちょうじゃ)』、『弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)』猿若座芝居前、『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』髪結新三を鑑賞。

勘九郎は前から好きだった。硫黄島で『俊寛』をやってみたり、『平成中村座』を立ち上げたり、困難なことに挑戦するのがカッコイイ。
私が10年以上働いた会社を辞めたのも『平成中村座』で勘九郎の『法界坊』を見たのがきっかけだった。

『弥栄芝居賑』では男伊達、女伊達に扮した俳優が左右花道にずらり勢揃いし、新勘三郎の誕生を祝うのだが、極上シートの私たちの列には獅童、その隣は海老蔵。
3メートルも離れていないところに立っている。
海老蔵はなんだか目があちこち動いていたが、獅童はきりっといい顔をしていた。

 終演後『キリンシティ』で母と飲む。
観劇態度を私に散々注意されて頭に来たのか
「あんたが母の日にくれた花束、ああいうものは人にあげるもんじゃないわよ」と言われる。
「なんで?」
「私だからいいけど、あれは酷いわ。いくらよ」
「500円」
「最低ね!しおれちゃってるし」
「あれしかなかったの」
「あんなのを、Dさんにもあげようと思ったの?恥ずかしいわね」
「いや、Dさんは独身か子供がいるかわからなかったから、もしお母さんなら太古八の女将さんにも、3つ小さな花を買おうと思ったんだけど。遅れちゃったし、しょぼい花しかなかったからとりあえずお母さんにだけ、手ぶらよりいいかなと」

あーあ、怒られちゃった。贈り物は難しい。

母の話にはいろいろな人が登場するが大学時代の友人の話はあまり聞かない、と思ってそう言ったら、気に障ったのか「話したくない」と言う。
「じゃあいいよ」と言ってるのに「あの頃は仕事して夜学行って、兄弟を食べさせて、忙しくて友達と遊ぶどころじゃなかった」「ふーん」

「15日は?コーラスがあるんだけど」「21日は?Kが来るわ」と元気になった母はイベント盛り沢山で私を誘う。
「いや、そんなに会い過ぎると疲れるから」
「あんた、コーラス聴きたいって言ってたじゃない」
「はあ、言いました」
「これから『檸檬屋』に行くわけ?私は行っちゃあいけないの?『なすび』にも行きたいんだけど」
「いや、今日は打合せみたいな感じだから」
「ふーん」

落ち込んでいる時と元気な時の差が、なんとも極端な人だ。
「後でいい」と言っていた今日のチケット代も「お金大変なんでしょう」と母がくれる。
となっては母のコーラスも聞きに行かねばなるまい。
まあこの躁状態も夏までだと思われるのでお付き合いしよう。

 銀座駅で母と別れて『檸檬屋新宿』。
宮崎学さんがいらして、私が母を連れて来なかったと言ったら
「いいじゃねえか、べつに」と仰ったが、私は怖い。

まさか宮崎さんのことを叩いたりはしないと思うが、典型的な「オバハン」で、自分が一番正しいと思っている「日本国民」で、「ワタクシはね…」と話し始めたら相槌を打つことさえできないマシンガントークで、「真理はこうなんですよ」って私が言ってもいないことをギャアギャア言って…。
やるだろう、今の彼女なら。ああ恐ろしい。


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05月09日(月)
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