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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■『笑の大学』余燼/映画『80デイズ』
 映画版『笑の大学』を見て以来、しげの機嫌が頗る悪い。『キネマ旬報』の映画評を読んで(評者によって賛否は分かれている)、「ねえ、あとで弁償するから、この雑誌、破いていい?」と来たもんだ。「鬱憤晴らしたいなら外で叫んでこい!」とどやしつけたけど。私もエンディングロール見ながら石投げつけたくなったから、気持ちは分からないでもないのだが。
 『笑の大学』は、劇団のメンツで一緒に見に行こうかという計画があったのだが、スケジュールが合わずに結局断念した。でもツアーを組まなくて正解だったかなと思う。
 大人数で映画を見に行けば、当然、一人一人の意見の違いが生ずる場合だってある。そこで自由にモノが言えなかったら、そもそも一緒に映画を見に行く意味なんてないと思うのだが、中に頭でっかちなヤツが混じっていると、往々にして次のようなしたくもない応酬が行われたりするのである。
 「今日の映画、すっごい素敵でしたね! 私、大感動しちゃいました!」
 「そうかあ? 脚本は穴だらけだし、演出は陳腐で退屈、役者の演技に至っては素人以下で、見てて吐き気がしたけど」
 「ひ、ひ、ひどい! 私は面白かったのに、それを貶すなんてヒドイ!」
 「思ったこと言ってるだけじゃんかよ。何が悪いんだよ」
 「あの映画の素晴らしさが分からないなんて、アナタは人として何かが欠けてます! ええそうですともアナタは人間じゃありません、ケダモノですゲドウですアクマです!」
 「なんでそこまで言われなきゃなんないんだよ! つまらなかったものを無理して誉める方がどうかしてるだろ!?」
 「そんなにイヤなら初めから見に来なきゃいいじゃないですか!」
 「見る前からつまらないかどうかなんて決められるか! 時空を捻じ曲げた難癖つけてんじゃねえ!」
 ……こういう理不尽な目にあった人、たくさんいらっしゃるでしょうね。ホントによう、この手の「イヤなら見るな」って屁理屈が通ると思ってる野糞野郎どもがごちゃまんといるからねえ。場合によっては、映画を作ったスタッフとかがこんなこと言ったりするんだよ、情けねえ。だったら「見ろ」って宣伝してんじゃねえや。公共に提示されたものなら、批判を受けることだってあり得るんだから、それにいちいち怒るくらいなら、ハナから映画なんぞ作るなって。
 私ゃ自分が面白く思った映画を貶されても「視点が違うからしゃあないなあ」で終わるんだけれども、世の中、「自分の判断が絶対」って信じてる人間がやたらいるのだ。今更ながらだけれども、一応、注をつけておくとね、そういう「自己中」野郎と、そうでない人間との簡単な見分け方はね、「自分の判断を貶されて、怒るか怒らないか」なの。「貶されたら怒るのは当たり前じゃん!」と仰る御仁は、その時点で世間的には「あほ」だと判別されるので、ご注意ね。でもね、悲しいことに、そういう「あほ」の数も昔に比べていやになるほど増えちゃってるんでね、いくら私が「いちいち怒るな」って言ってもね、「バカにされたら怒って当たり前だ!」と堂々と主張するようなとっちゃんぼうや、全然減らないのよ。だって、そういうやつらほど群れなしてお互いを認知しあってるから、いつまで経っても自分が世間に迷惑撒き散らしてる存在なのか気がつかないままなのね。筒井康隆の『農協月へ行く』を想起して貰えれば私がどういう連中のことを指して言ってるか分かると思うけど、そういうのを「猿山の猿」って言うのよ。

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11月09日(火)
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