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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■騒ぎどころが違うぜ/『仮面ライダー龍騎 13RYDERS』/映画『恐怖の火星探検』/『ロケットマン』3巻(加藤元浩)
18日付の唐沢俊一さんの『裏モノ日記』のタイトル、「2020年の朝鮮」は笑えました。
今更唐沢さんは何の注釈もつけはしないけれど、もちろんこれは『ウルトラQ』、ケムール人登場の名エピソード『2020年の挑戦』のモジリですね。確かにアレも拉致の話でした(^^)。
……わあ、もう18年後じゃねえか。
唐沢さんご自身はできるだけタイトルは無意味にされたい御意向のようだが、たまにこういう「意味」のあるネタをサラリとされてしまう。
で、その「意味ありげ」なほうを面白いと感じてしまうのは、私がやはり「感覚」よりも「リクツ」でギャグを解するタイプだからなのだろうな、と思う。
感覚的な人間は、時にとんでもなく面白いギャグを生み出すことがあるが、自分の中でそのメカニズムを整理できないために、一発屋で終わってしまう傾向がある。流行語をはやらせ、ブームを起こした芸人やマンガ家にこのタイプは多い。一般人でも、学生のころはやたら面白いギャグを連発して楽しかったヤツなのに、年取って同窓会で会ってみると、何かただの下卑た親父になってる友人がいたとかいう経験、みなさんにはないかな。
リクツでギャグを考える人間というのは、実はそんなに面白いギャグは作れない。ここをこうしてこう作ってこうイジれば笑いが取れるな、というのはわかるのだけれど、もう一つ、突き抜けたものが作れないのだ。ナンセンスにしようとすればするほど、どこか「作りもの」めいた雰囲気が漂い、笑いを押し殺してしまう。とり・みきの『遠くへ行きたい』なんかその最たる例であって、一見意味不明に見えながら、実は作者の意図が何なのかがウスウス感じられるために、ニヤリとウス笑いを浮かべることはできても、ワッハッハと腹を抱えて笑えはしない。
ダジャレ、というのは、短歌における掛詞が元になっているように、実は極めて技巧的でリクツに基づいたものだ。だから本来、「笑い」を取る手段としては理に勝ちすぎている面があり、そんなに笑えるものではない。全くかけ離れた二つのものを結びつける意外性、とは言っても、もとは周知の同音異義語なのだから、そんなに突拍子のない意外なシャレを提示してみせることは至難のワザなのである。博多にわかのオチはほとんどシャレだが、爺さん婆さんはともかく、若者で大笑いできるヤツがいたら、そいつはとんでもなく奇特な人間だと思う。
「挑戦」と「朝鮮」のシャレも誰もが思いつくであろう。
と言うか、「朝鮮の挑戦」というシャレを思い浮かべたことのない人間などまずいないと思う。少なくともみなもと太郎は思い浮かべたことがあると思うが、マンガの中にはさすがに使えなかったんじゃなかろうか。唐沢さんのギャグも実は「突き抜けて」はいないのだが、今やメジャーであったはずの『ウルトラQ』もすっかりオタクなネタにしかならなくなってしまった。忘れたころに時事ネタと絡めて、似ても似つかぬケムール人と金正日の顔をダブらせ、蘇えらせたところに、このシャレの「意外性」は生まれているのだが、でもやっぱり一般の人には「どこが面白いの?」ということになっちゃうのだろうなあ。
ダジャレ一つに何を「考察」してるんだか(^_^;)。
でも、相変わらず社民党をからかってたり、唐沢さんの日記とネタがかぶっちゃうことが多い。自分だけが物事を裏ヨミしてるわけじゃないのだな、と思ってホッとすることはするのだけれど、読者のみなさんの中で、私のことを唐沢さんシンパだと思ってる人はいないだろうか。
まあ、ファンであることは間違いないのだけれど、単に発想が似ることが多いってだけで、マネしてるわけじゃありません。更新が遅れると、どうしても後追いで同じようなこと書くことが多くなるんで、いい加減、トバして更新し始めたんだけど、先に書いてもやっぱり似る(^_^;)。これも西手新九郎のシワザか。
拉致事件の続報、前日とうって変わって朝刊での扱いが随分小さくなっていたので、マスコミも早いとここういう扱いに困る事件は忘れたいのかなあ、と思っていたら、夕刊でまたデカデカと「外務省、死亡日隠す」の大見だし。
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09月19日(木)
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