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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■病気はハンデじゃないってば/映画『スパイダーマン』/『ミステリー民俗学者 八雲樹』1巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか
今日づけで体調不良で退職される同僚がいらっしゃったので、「お大事に」と声を掛けたら、小声で周りに聞こえないように「……あなたも糖尿でしょう、気をつけてくださいね」と耳打ちされた。
察するにこの方、上司から肩タタキされたんである。
病人はウチの職場にはいらん(とハッキリは言われなかったろうけれど)、遠まわしに「ゆっくり休んだらどうかね」とか言われたんである。
憶測でモノを言うなと言われるかもしれないから、ハッキリ書いとくが、私も何度か同じことを言われてるから、ウチの職場の体質はちゃんと知ってるのよ。やっぱり病気で長期休業してた同僚のことを「二度来なくていいよ、アイツ」と上司が陰口叩いてるとこに偶然出くわしたこともあるし。
病気だからと言って、全くカラダが動かないわけではない、無理しない程度に働くんならなんの問題もないことは、実際に持病のある人間にはわかってることである。つまり、病人が「要らないもの」と判断されてしまうってことは、たいていの職場が従業員に「無理させよう」と考えてるからってことになるよな。
誰もがタテマエじゃお互いに労わりあうことが大切みたいなこと言うけど、現実には病人は迷惑の対象でしかないのだ。もちろん、一人の人間が仕事を休めば、迷惑が周囲にかかるのは事実だ。けれど、病気だの事故だのはいついかなるときに起きるかわからない。それをどうフォローするかは、本来、その職場が組織として予め考えとかなきゃなんないことじゃないのかね。それができないのは組織自体に問題があるってことじゃないのかね。「不況だから個人に負担がかかるのは仕方がない」というのは管理ができないことの言い訳だ。
なのに、どの会社でも結局はそこで働く者の個人責任を取らせるみたいな形で問題をやり過ごしちゃってることが多いんだよな。
個人に先立って会社がきちんと責任をとた事例なんて、どれだけあるというのだろう。「会社の責任」なんて、新聞に載るような事故とか不祥事とか、何かの事件にでも発展しない限り、問われること自体がまずないのだ。
けれど、そんなふうに組織としてのありようが責任を追求される場合でも、最後には立場の弱い人間だけが責任を取らされて、事故そのものは闇の中に葬り去られて行くってこと、いくらでもあるよな。
そういう事例が続出してるのが、例えばナントカ省とか警察とか病院とかの一連の不祥事じゃないのか。「医者が病気になってどうする」と文句つけるヤツがいるけど、過労が普通の環境の中で、病気にならないでいられるもんかい。
病人は邪魔ものか?
健康なことがそんなにエライのか?
だったら、トシ食ってカラダが動かなくなっても、病院にもかからず、施設にも入らず、誰にも迷惑掛けずに朽ち果てろよ、それが筋ってもんだろうが。
こっちも病み上がりだから、どうにもむかっ腹が立って仕方がない。
けれど、誤解しないで頂きたいのだが、私は全ての責任を組織に押しつけて、「病人の責任」を回避しようと思っているわけでは全くないのである。病人が自分の病気に甘えてしまう状況、これはやはり始末に悪いことだ。
「甘える」と言ったが、具体的な行動としては、他人を羨んだり僻んだりする態度でそれは現れる。「こんな苦しみ、健康なアンタには分らないだろう」なんて愚痴、健康な人間の方だってそんなこと言われりゃ反論のしようがない。実際に病気になって見せるわけにはいかないんだし。こういうのを「無理難題」、ないしは「難癖」と言うのである。
病気をマイナス要因と考えないで、「まあ、それが普通だし」と考えられば何も問題はないのだけれど、肝心の病人自身が、そんな後ろ向きな生き方してるものだから、そこを「健常者」に突っ込まれてしまうのである。
口では「病気だからってメゲる必要ないんだ」とか「身体障碍はハンデじゃない」とか言いながら、実は「自分に同情してほしい」「自分に優しくしてほしい」と考えてるだけのヤツってやたらいるんだよな。
病人は心の底のどこかで、やっぱり「なんで自分だけがこんな目に」と思っているんである。被害者意識に心を支配されてしまっているんである。だから病人が病人を恨む、やっかむ、という馬鹿げた事態まで起こる。
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05月31日(金)
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