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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■どこまで続く死のロード/ドラマ『陰陽師』第三回『迷神』ほか
 全くもう、どうしてこう連続して人が死ぬかな。
 今日は小島三児が亡くなってしまった。
 新聞記事には「『トリオスカイライン』の」と書かれていたが、ああ、そう言えばそうだったな、という記憶しか私にはない。
 何しろ解散したのが私が小学校三年生の時である。大人はいざ知らず、子供には決めのギャグのないグループはよっぽどの芸がない限り印象に残らない。東八郎はともかく、コメディアンとしての小島三児はワリを食っていたように思う。
 気がついた時、小島三児は既にピンだった。
 でも、映画やドラマによく出てはいたが、脇役、というよりチョイ役以上の役で出ていたのをあまり記憶していない。
 今、パッと思い出せるのは、『ルパン三世・念力珍作戦』のオカマのヤクザや、『金田一耕助の冒険』の床屋の店主である。どちらもワンシーンのみ、しかも、本筋と全く関係のない演技をしようとするあたり、まるで由利徹である。
 よく見ると目の怖いひとである。コメディアンとして立つには、ちと濃すぎたのではないか。小島さんのツッコミを並の役者ではカワシきれないのである。だから、チョイ役以上、長丁場は預けられない。
 実のところ、小島さんをうまく扱えたのは、やっぱりと言うかまたかと言うか、黒澤明だったりするのだ。
 『どですかでん』での小島さんは泥棒役、ウケのたんばさんに渡辺篤、これは見事なキャスティングであった。
 警官につかまった泥棒が、面通しのために再びたんばさんのウチを訪ねる。しかしたんばさんは「泥棒になんか入られませんよ」としれっと言ってのける。自分が庇われたことにも気付かぬ泥棒は、首を捻って帰っていく。この首の捻り方がいいのだ。
 別に泥棒はたんばさんの優しさに触れて改心したわけでもなんでもない。でもたんばさんは相手がどんな人間であれ、同じようにものを施し、同じように相手に哀れみをかけるであろう。それは相手への同情ではなく、たんばさんの生き方のスタイルであるから。
 獰悪だけど間の抜けた感のある小島さんの存在は、渡辺篤の飄々とした味わいとの対比が鮮やかで、さすが黒澤は喜劇もわかってるんだよなあ、と感心したものだった。
 映像の撮り方に軽みが感じられないのが今イチだったが、あれはいい映画だった。小島さんのフィルモグラフィーの一つとして紹介してもよかったと思うんだがなあ。
 関係ないけど『ONE PIECE』の「サンジ」って、小島三児から取ったんじゃないかな。ほかに「さんじ」って名前の人、知らないし。

 『テアトロ』5月号に、『ラ・テラス』の批評が載っている。
 これがまあ、私の意見とは正反対で、「役者はいいが、脚本がよくない」というもの。
 人それぞれ、見方が違っていて当たり前であるので、初めは「おやおや」くらいの調子で読んでいたのだが、どうもこの批評家、根本的に脚本が読めないやつだということに気がついた。
 「役作りが的確」と評しているが、脚本の出来が悪いのなら、役作りだって出来ぬはずである。批評の言葉自体が破綻しているのだ。
 私に言わせれば、あの芝居は一にも二にも、役者の読解力が足りないために深みが生まれなかったのであって、脚本のせいではない。
 例えば、テラスから落ちたはずの男たちが、なぜ毎回死なずに助かるのか、その不可思議な現象を登場人物はどう感じているのか、役者たちはどこまで突っ込んで考えたのだろうか?
 口では不思議だと言っていながら、本当は誰もそれを不思議だとは思っていない、たったそれだけの解りきった事実すら、あの役者たちは理解していないのである。
 ……不条理劇の批評はやっぱり日本じゃまだまだ確立されていないのだなあ。

 帰宅した途端、女房が「餃子を食いたい!」と叫び出したので近所の「王将」に行く。
 実はそこでは姉の娘さん(でも私の姪ではない。不思議不思議♪)がバイトしているのである。姉によく似てはいるが姉よりずっと美人だ。
 てなこと言ったら姉ちゃん怒るな。どうせこの日記見る心配はないけど。
 店に入った瞬間、こちらに気付いて微笑みかけてくれるので、こちらも会釈を返す。ところが女房は無愛想に挨拶もしない。 

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04月17日(火)
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