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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■合宿落穂拾い・その他盛り沢山/『ナジカ電撃作戦』2巻(田代琢也)
 ことほどさように日本人の感覚の翻訳は一通りではないのだが、まあやらないよりやったほうが面白いし、個人的には島田荘司と夢野久作が海外でどんな評価を受けるのか気になるところだ。『占星術殺人事件』は、ミステリとして評価してもらうなら、アレはちょっとなあって出来なんだけど。『ドグラマグラ』の「スチャラカチャカポコ」なんて擬音、そのまんま訳すんだろうなあ。


 マンガ、スタジオファンタジア原作・田代琢也作画『ナジカ電撃作戦』2巻(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・540円。
 アニメの方は終わっちゃったけれど、マンガはちゃんと続いているのは嬉しい。絵はそんなに上手くないし、パンチラもマンガだとたいしてインパクトはないのだけれど、リラがやっぱりかわいいからいいのだ。
 この「人の手によって作られたがために人間的感情に乏しいロボット(あるいはそれに類するもの)が、トンチンカンな行動をしつつも次第に感情を手に入れて行く」というパターンは、もちろんSF作品には随所に見られていてルーツをたどることすら難しいのだが(ピグマリオンにまで行っちゃうしね)、この手の話を特に好んだのは日本人であるように思う。
 『撰集抄』「西行於高野奥造人事」に、高野山に篭った西行法師が、孤独に堪えかねて、反魂の秘術を用いて人間を作ったが、それは心のない人間だったために置き捨てた、というエピソードがある。私はこの話を最初、諸星大二郎の『妖怪ハンター』最終回「死人帰り」で知ったのだが(作者本人が気に入らなかったらしく、現在は同シリーズから削除されていて読めない)、その話を聞いてすぐに思い浮かべたのは言わずと知れた手塚治虫の『鉄腕アトム』であった。
 天馬博士がトビオを作ったのも息子を亡くした「孤独」ゆえであったし、成長しないトビオをサーカスに叩き売ったのもヒドイ話だったが(昭和初期まではサーカスにいる少年少女はみんな売られてきたのだという都市伝説があったんですよ)、もとネタをこの西行のエピソードにおいていることはまず間違いのないところだ(『フランケンシュタイン』はもっと後だしね)。
 この、人造人間が一旦人間に捨てられる、という過程を辿ることは意外に重要ではないかと思う。西行の作った人間モドキは打ち捨てられたままであったが、日本のテレビアニメに登場するロボットたちは実際「道具に使われる」「捨てられる」「壊される」とやたら悲惨な目にあっているのだ。そして、その行き付く先は「造物主への反乱」である。アトムの『青騎士』における「人間め!!」という涙の絶叫を覚えておられる方も多かろう。例が古いってんなら『エヴァ』の綾波の「私はあなたの人形じゃない」はどうだ。
 思うに、日本において「親子」の関係というのは、はるか昔から極めて希薄なものであったのだ。聖書における最初の殺人がカインとアベルの兄弟間の嫉妬が原因であったのに対し、日本神話のそれはイザナギ・イザナミによるわが子ヒルコの遺棄である。自らの血を残すのであれば跡継は一人だけで充分であるし、自分の意に染まぬ子であるなら捨て去ることは親の権利ですらあった。
 なんで日本人がそうなっちゃったかってのを分析するのはちょっくら複雑で一言では言えないのだが、閉鎖されたムラ社会が基盤になっていて、貧困との戦いが日常であったかつての日本人にとっては、「オトナになりきれないコドモ」というのは、生活上、やはり厄介者以外のなにものでもなかったからではないかと思う。外敵と戦うためには親子の絆を強める必要があった西洋人と違って、日本人の戦う相手は「自然」だけでよかった。そのため、子への情愛、なんてあやふやなものはたいして顧みられることもなく、ただひたすら自分が生きて行くことだけを優先させて来たのである。

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10月16日(水)
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