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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■夏の終わりの小さな花火
この人にだって、「ガスは引火するものだ」という知識がなかったわけじゃないだろう。ただ、「知識」ってのは、往々にして「知識」のレベルに留まって、現実への応用が効かないことがしばしばである。アタマのよさってのは知識の多寡じゃなくて、その個々の知識の関連性を見抜き、現実に応用できるかどうかって点にかかってるんだけど、それができる人って案外少ないんだよねえ。日本ってクニは、下手に知識があるとかガクレキがあるとか、そんなのがステイタスとして成り立っちゃってる社会だから、世の中「馬鹿ばっか」であることに気づきにくくなってるんだよねえ。
思うんだけど、それって、やっぱり学校での「理科の授業のつまらなさ」にも大きな原因があるんじゃなかろうか。いや、理科の授業自体は教師がよっぽどヘタクソでない限り、基本的にとても楽しいものなのである。けれどその楽しさを感じられない人がやたら増えてきてはしないか。科学の楽しさというのは、この世の一見でたらめでてんでんばらばらに見える現象に、ある一定の法則が存在していることを発見する興奮にあるんじゃないかと思う。つまりまさしく「ユリイカ!」って感得する瞬間なんだけど、そういうものを「感じられない」人って、会話しててわかるんだよねえ。で、気が付くと周囲の人間がみんな「そんな人たち」になっているのである。悲しいことに、「自分には知識がある」と思ってる人にかえってそんな人が多い。だから知識があるだけじゃ全然アタマがいいことにはならないんだってば。トリビアで言えば、3へぇくらいの知識ばかりやたら持ってる人なんだね(^o^)。
「知識」が「好奇心」を喚起するためには、やはりそこに我々の魂に訴えかける「何か」が介在しなければならないのである。我々は今や、雷がただの放電現象であることを知っている。これを昔は雲の上に鬼や雷獣がいるのだと説明していた。もちろんそれは正しくはないのだけれど、雲の上にいる「あるもの」への思いを馳せ、雷がなればヘソを隠すような「生活習慣」まで作りあげていた。知識が我々の人生に密着していたのだ。それに対して、雷を放電現象、と説明することは確かに科学的には正しいし、それを教えることも当然のことではあるのだけれど、実はその「雲の上」への我々の「思い」まで消してしまっているのだ。正しいことを教える、だけでは実は知識の伝授は叶わない。陳腐な言い方になって恐縮だが、心を忘れた科学には幸せ求める「夢」がない。神秘を排除した科学は、実は至極つまらないものなのである。
空はどうして青いのか、雪はどうして白いのか、月はどうして満ち欠けするのか、星はどうして瞬いているのか、虹はどうして七色なのか、リンゴはなぜ落ちるのか……。親が子に、それを「科学的に」説明することは可能だろう。でもそれで終わってしまっては、知識は決して我々の生きる糧とはならない。何ならそこで正しい知識を教えなくったって構わない。お空があんなに青いの、にペンキ屋さんがいるとウソついたっていいのだ。ちょっと理科の知識かじってる小学生なら、「空が青く見えるのは、波長の短い光が大気中で屈折して拡散しているからでしょ?」くらいのことはサラッと言う。でもそこで、「じゃあたかがその散乱現象でどうしてあそこまで澄んだ色が出せるの?」と問い返したとき、その子どもが本当に「アタマのいい」子なら、自然がどれほど“科学的な奇跡”を生んでいるのか、過去の人々もまた、その「美しさ」を説明するための“科学的精神”を持っていたのだということに気づくのである。
……火事の話がなんか教育の話にシフトしてしまったが、「親や教師の教育が悪い」ってとこの何がどう「悪い」のか、ヒトコトで言っちゃえば、「夢」を説得力を持って語ってないとこなのよ。パチンコやって、子供を車中に置き去りにする馬鹿親と、この殺虫剤引火男と、根底で共通してるとこがあると思うんだけどね。
イギリスの新聞「ガーディアン」紙が、国内外の著名な科学者56人に対してインタビューを行い、「SF映画TOP10」を発表した。以下はそのリスト。
1.『ブレードランナー』("Blade Runner",1982年)
2.『2001年宇宙の旅』("2001: A Space Odyssey",1968年)
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08月28日(土)
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