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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■ついに出ますよ、アレが/『タク坊の毎日』(中川いさみ)/『最良の日、最悪の日 人生は五十一からA』(小林信彦)
マンガ、とうっかり書いちゃったけど、実は絵はない。連載されてたの知ってる人は知ってると思うけど、これ、マネキン人形にストーリーに合わせたポーズを取らせたのを写真に撮ってフキダシを付けた、「マネキン写真ギャグ漫画」なんである。
ストーリーそのものも面白いんだが、これをマネキンに「演じさせる」だけでこんなに笑えるものになるとはなあ。顔が動かないのに表情があるようにさっかくしちゃうのは、能面と同じ効果かな(^o^)。
これまでにも単発的にこういうことやった人はいたと思うが(写真マンガ自体は結構ある)、単行本一冊まるまるやっちゃったというのは珍しい。思い付いてもセンスがないと面白いものにはならないからねえ。時々人形が変わるのはご愛嬌か。
ドラマで『オー!マイキー』ってやつがマネキン使ってまんま中川さんのマネしてるけど、これ、マンガの方が絶対効果があるのだ(中川さんはマネされたこと怒ってるらしい)。撮影は大変だったらしいけど、できれば2巻、3巻と作ってくれたら嬉しいんだけどなあ。
けど、このマンガ読んで一番悔しがってるの、唐沢なをきさんじゃないかな。こういう実験マンガ、どうして思いつかなかったのかって。
小林信彦『最良の日、最悪の日 人生は五十一からA』(文春文庫・500円)。
『週刊文春』連載エッセイ、1999年分の文庫化。4年前の文章なのに読ませる筆力はさすがだ。この点、ナンシー関さんの文章は数年経つと、当時の雰囲気が分らなくなって読みにくくなる。同じ「時代観察者」でも、小林さんはその時代を切り取りつつも、5年先、10年先も読めることを想定して「必要最小限の」情報を組み入れつつ書いているのだ。ナンシーさんも生きていればきっとこの域に達したはずで、返す返すもその死が残念でならない。
ちょうどこの年は小林さんが『ケイゾク』にハマッていたころである。私は当時、「小林さんが誉めていたので」『ケイゾク』を見るようになった(本放送の1話から見てたので、正確には小林さんの文章を読んだあとではないのだが、見続ける「後押し」になったのは事実である)。
誰かが誉めているから本を読むとか映画を見るということを私はあまりしないのだが(逆はやたらある。「コイツが誉めてるならきっとつまんないだろうな」&「コイツが貶してるならきっと面白いだろう」である)、小林さんは私が信頼する数少ない批評者の一人である。もっともそれは「ミステリ」と「コメディ」の一部に限定されるのだが。
ただ、これには弊害もあって、小林さんが貶してたおかげで、私は未だにトマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』を読んでいないのである(『羊』は原書で読みました)。
『ケイゾク』は回を重ねるたびにつまらなくなっていったけれど、「中谷美紀を『汚した』やり方はうまい」という小林さんの批評は正鵠を射ていたと思う。
前にも書いたことがあると思うが、私が小林さんを「信用」するのは、亡き母と小林さんが同い年だということが大きい。母が語っていた「あのころ」の空気と、小林さんの文章で語られている時代の感覚が、見事に一致するのだ。
小林さんが、山中恒の『間違いだらけの「少年H」』中にある「平日に国民学校児童だけで映画館に入場できるわけがない」という記述に対して、「戦争の後半に、多くの映画をぼくは一人で観ている」と反論している。私の母も、戦時中もずっと映画を見ていた。山中さんも同世代だが、時代の感覚は小林さんや母とは微妙にズレがある。山中さんの場合は戦後、共産主義に一時ではあるが染まったことによって(当時の児童文学者は、ほぼ全員、共産党員か共産主義者だった)、時代の捉え方に少し「歪み」が生じていたのではないかと推測する。
エッセイの内容全てに言及はできないが、『東京行進曲』を歌った佐藤千夜子が、小林さんの祖父に同郷のよしみで(山形県天童)借金に来たことがある、というエピソードが面白かった。ただそれだけのことだが、意外な人が意外なところですれ違ったことがある、というのは私のような運命論者には頗る興味深いのである。
07月28日(月)
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