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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■フェチじゃないモン!/『東京少年物語』(羅川真里茂)/『冷暗所保管』(ナンシー関)ほか
 羅川さんは青森出身なのだろうか、一般的に東北出身者は関西より西の人たちと違って言語コンプレックスが強いようである。寛治のように、必死で訛りを直そうとする傾向が強いのではないか。それに比べて関西人は東京でもあくまで関西弁で通そうとしているように見受けられて、傲岸不遜に見える。九州人はたいてい共通語を話そうとするが、それは東北人のようなコンプレックスゆえではなくて、外国で外国語を喋るのは当たり前、という感覚であろう。その点、鹿児島出身という設定の幹悟が「他の人と話すとき相手に通じる言葉言うのは当たり前じゃっど」と語るのはいかにも九州人。羅川さん、よく観察してるなあ。
 いろいろな地方の出身者が交流する物語はそれこそ漱石の『三四郎』の昔から数限りなく書かれているわけだが、その地方性をおさえつつも決してステロタイプに陥らないように描くというのはなかなか簡単ではない。『がんばってや』は成功作の部類に入るのではないか。
 

 ナンシー関『テレビ消灯時間C 冷暗所保管』(文春文庫・440円)。
 もう四ヶ月である。
 その間もテレビではどうでもいい番組を垂れ流し続けているわけだが、ふと気付いたら、ナンシーさんだったらなんて言うかなあ、と考えてたりするのだ。その人の不在をこれだけ意識してしまうというのも、やはりナンシーさんが「今」を生きていたことの証明なのだろう。
 今巻でナンシーさんの俎上に上げられた芸能人たちも50人を越える。彼ら彼女らについての文章を読むたびに思うことは、「そいつ誰?」である。いや、これは別に私が芸能人のことに疎くて、聞いたこともない人についてクビを捻っている、ということではない。その人の名前は知っている、テレビで姿を見たこともある。けれど、その人が「誰」であるかは分らない、そういう状況が生まれてしまっているのが今のテレビ界ではなかろうか。
 一例を挙げよう。磯野貴理子という人がいる。彼女は『ごきげんよう』というトーク番組に出ている。他にもいくつかのバラエティに出てたと思うが、ともかくナンシーさんが語るのは、彼女が同番組でどのような位置に立っているかだ。
 ナンシーさんは「貴理子はサイコロトークの『象徴』である」と説く。で、ナンシーさんにそう断言されたら、確かに彼女はそれ以上のものでもそれ以下でもないなあ、と我々は認識する。考えてみたら、彼女が何者であるかを、番組内で全く提示していないことに気付く。そして思うのだ。「磯野貴理子って、誰?」。
 ナンシーさんの批評は、「彼ら彼女らが何であるか?」という分析ではなく、ひたすら「彼ら彼女らがどう見えるか?」を指摘するものだ。だから「こいつら何者?」という疑問が常に前面に押し出されることになる。結果として、我々はその対象となるバラエティやトレンディドラマに興味を抱くことになる。貶しがかえって番組の「格」を「底上げ」することになっていたのだ。
 しかし、そういう効果も、悪口を表面的にしか捉えられない人には理解の範疇の外だろう。ナンシーさんがいなくなったことで、テレビ番組が本当にただのつまらないものに成り下がってしまった。生きておられたら『逮捕しちゃうぞ!』や『アルジャーノン』や『天才柳沢教授』をどう貶してくれるか楽しみだったのだが。
 え? おまえはその三本、どう見たかって? 見てませんとも。見てどうしろっていうのですか? 「批評は見て言え」というのは私のモットーではありますが、事前に批評したくなる情報がなきゃ、私は見ません。全ての番組を見ることなんて不可能ですから。

 
 しげがバイト先の同僚の人からドラマ『ビューティフルライフ』のビデオを全話分、借りてくる。こりゃまたいったいどういう風の吹きまわしかと聞いてみたら、「渡部が出てるし」。
 そう言えばしげ、渡部篤郎のファンだったな。聞いてみればなるほどであるが、ちょうど今し方、ナンシーさんの本の中で、「『ビューティフルライフ』のキムタクはどうしてハナをすするのか」って記事を読んだばかりだったから、そのシンクロニシティには驚いた。

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10月17日(木)
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