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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■病気はハンデじゃないってば/映画『スパイダーマン』/『ミステリー民俗学者 八雲樹』1巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか
もちろんそれがいけないってことじゃなくて、基本的にチープでキッチュなB級映画として楽しむことができれば、それはそれでいいと思うんである。ティム・バートンの『バットマン』シリーズも、『Xメン』も、私は楽しんで見た。設定にしろストーリーにしろ、常識的に判断すればデタラメきわまりない。けれど、その逆立ちしたって文芸大作だの感動の名編だのといったA級にはなりえないデタラメさ、いい加減さこそが、まさしく何でもアリのごった煮的大衆文化の象徴とも言えるわけで、見ていて実に小気味いいのである。
でも、その「ごった煮」の中に入れたってしょうがない要素もあるんだよね。それが何かっていうと、「ヒーローの孤独」ってやつ。
今更語るまでもなく、スパイダーマンは「悩めるヒーロー」として造型されている。それはかつての実写化、アニメ化、日本でのマンガ化(平井和正&池上遼一!)においても踏襲されていた、スパイダーマンをスパイダーマンたらしめる必要不可欠な要素なんである。
けれど、軽い味付け程度にまぶすんならまだしも、「ヒーローの悩み」なんてのをあまり前面に押し出しちゃうと、設定自体に矛盾が生じちゃうこともあるんだよね。勧善懲悪モノだってのに、戦う前からヒーローが悩んでたら、「さっさと戦ってこんかこのバカが!」って腹たって来ないかな? 『エヴァ』のシンジくんじゃあるまいしねえ。
主人公が悩めば悩むほど、物語の流れは阻害されてしまう。かと言って、余り正義に自信を持ったキャラだと、単純過ぎて、今度は見る者が感情移入しにくい。そこで、たいていのヒーローものは、その主人公の悩みを早い段階で解決してさしあげたりするんである。日本じゃ『仮面ライダー』だって悩んでたのは最初の数話だけだもんね。
さて、ではサム・ライミ監督はそのあたりの矛盾をどうゴマかしてこの映画を作ったかというと。
何も考えてないみたいなんである(^_^;)。
つーか、最初から最後まで、主人公ピーター・パーカーの悩みがなんなのかさっぱりわかんないのよ、この映画。
スーパースパイダーに噛まれてDNAに変化を来たした主人公ピーターは、初め、そのパワーで自分に乱暴を働こうとした友人を逆にぶちのめしてしまう。そのことを知った育ての親である叔父に「大きな力には大きな責任が伴うんだ」とたしなめられるんだけど、これってどう解釈しても「ヘタな力は使うな」としか読み取れないよねえ。
けれどその叔父さんが強盗に殺されて、自分がスーパーパワーを使っていたら叔父さんを助けられてたかも、と気付いた途端、ピーターはスパイダーマンとして正義のために力を使うことをあっさり決意しちゃうんである。いや、最初強盗を「自分には関係ない」と無視したのだって、別に叔父さんの言葉を思い出して自分を戒めたからじゃなくて、単にふてくされてただけだし。
……何も悩んでないじゃん、ピーター・パーカー(-_-;)。
普通はここで「叔父さんは力は使うなって言ってたけど、使わないと悪人の被害を受ける人たちを助けられないし……どうしたらいいんだよう」とか考えるぞ、ちょっとくらいは。
スパイダーマンの活躍が評判になって、その写真に新聞社が賞金を出すと広告を打つと、自分で自分の写真をセルフタイマーで撮って小金稼ごうとするし、ちゃっかりしてるっつーか、自己顕示欲丸出し。彼が一応の悩みらしきものを見せるのは、スパイダーマンと敵のグリーンゴブリンが実は裏で共謀してるんじゃないかって報道された時だけど、これも好きな彼女に「私はスパイダーマンを信じてる」って言われたら気分がさっぱりしちゃうし。
そう、このスパイダーマン、「くさる」ことはあっても「悩む」ことは全くないんである。
さすがに、不平不満と愚痴垂れ流しながら戦うヒーローにまともな感情移入はできないなあ。……と思って、途中からこの映画の見方変えました。これ、ヒーローアクションものと思って見ても映画のカタルシスは全くありません。やっぱりお笑いバカ映画と思ってみるとこれ、あちこちにギャグ(監督にそのつもりはないかもしれないけど)が満載でもう楽しいったらないっスね(見方意地悪かなあ)。
まずヒロインがブス(いいのか言いきって)。
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05月31日(金)
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