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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■アクシデンタル・カメラマン/舞台『戸惑いの日曜日』/『もやしもん』4巻(石川雅之)/『月蝕領映画館』(中井英夫)
にもかかわらずここまでの完成度、と誉めることもできなくはないが、やはり他の三谷作品に比べると、無理が生じていたり納得が行かない部分も多々あったのが初演版だった。
それが、このタイトルも変えた再々演版、それらの不満がかなり改善されているのである。
鏑木がマンションに居残ろうとするムリはどうしようもない。それがなければこのコメディ自体が成立しないから。
けれども、鏑木=の佐藤B作のいい加減さがキャラクターとしてより強調されることで、「それくらいあほなことをこいつなら仕出かしそうだ」というリアリティが増している。
そして、初演版では娘たちは鏑木に騙されっぱなしだったのが、最後に全ての真相を鏑木が告白する形に変更されている。ここが私も初演版で一番引っかかっていたことで、「いずれバレることじゃん、始末が付いてない」と腑に落ちない点であった。
カタルシスの点で言っても、今回の結末の方が順当で、三谷さんも昔に比べて「大人になった」ということなのだろう。
新登場のビビアンのキャラクターも、出るべくしてようやく出た、という印象だ。オチはこうなるだろうなと見えてしまうけれども、そこはご愛敬。鴨田の役も、これまでの石井愃一、伊東四朗両氏には申し訳ないが、若妻にかまってやらない傲慢さでは、西郷輝彦が一番似合っている。
正直、三谷幸喜は最近、レベルが落ちてきていたので、新作にあまり期待はしなくなっていたのだが、こういう「改作の上手さ」を見る限り、まだまだやるな、と認識を改める必要があると思えるのである。
ああ、また買わなきゃならないDVDが増えちまった。
夜になって、またまた志免炭鉱竪坑櫓まで出向く。
と言っても今度はただの見物ではなくて、イッセー尾形ワークショップ仲間と一緒に製作中の自主映画の撮影のためだ。
私は探偵の役で、あちこちを徘徊するという設定。もっとも撮影するのは私の後ろ姿とか手元とかシルエットだけで、顔は映さない。探偵には顔がないのである(笑)。
で、ライトアップされたここ志免炭鉱にもやってきているのだが、なんでやってきているのかは演じている私にも分からない(笑)。
脚本なし、イメージ優先のかなり適当な作りの自主映画なので、どんなものになるのかは監督の私にも予測はつかないのである。
てゆーか、先読みのできる映画はつまんないなー、と思ってつくっているので、これでいいのである。
予測不可能というのは実際に予測不可能が起きることで、櫓の回りを歩いているところをしげ。に撮影させている最中にアクシデントは起きた。
櫓のわきに7、8メートルほどの高さのボタ山がある。その上に登って、櫓を見上げているカットを撮ってもらおうと思って、私は先に駆け登った。勾配は急なところだと40度ほどはある。勾配というよりは崖に近い。
中年とは言え、私も体力がなくなっているわけではないから、助走をつけてそこを一気に駆け登った。その後、下にいるしげ。に向かって、もっと緩い勾配の方を指差して、そちらから回ってくるように言った。
ところがしげ。は、何を勘違いしたのか、私のあとを、カメラを持ったまま走って追ってきたのだ。
私より若くても、しげ。の持続力は私以下である。それでも数メートル程度の高さの山なら、しげ。の脚力でも充分に登り切れたろう。脚力がなくても足場がよければ何とかなったかもしれない。
しかし、敵はボタ山である。雨が降ってなくても足場は何となくぬるい。しげ。はあと数メートルというところで崖に足を取られて腹ばいになった。そしてそのままズルズルと落ち、山の途中で引っかかってしまった。
「助けてー」
情けない声が聞こえる。
「あっちへ回れって言ったのに、なんで言うこと聞かないんだよ」
「だって見えなかったんだもん」
かと言って、今見えてる目の前の崖が登れそうかどうか、判断くらいしてほしいものだが。
まるでマンガかCMのように、私が手を伸ばして引き上げてやったのだが、撮った映像はあとで見ると、テレビのドッキリ映像のように、目算を失ったカメラがあえなく夜空を写していたのだった。
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01月03日(水)
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