ID:10788
無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
[491684hit]
■マヌケな人々/『二葉亭四迷の明治四十一年』(関川夏央)/映画『山の音』/『住めば都のコスモス荘』1・2巻(阿智太郎・矢上裕)
『「坊ちゃん」の時代』の読者には必読の一冊。
関川さんの評伝が面白いのは、二葉亭四迷に関わった人だけを描出するのでなく、「関わらなかった人」をも描くことで時代そのものを浮きあがらせる点にある。『「坊ちゃん」の時代』のあの「そのときそれと知らず、明治を代表する人々が一同に会していた」というあの手法である。
四迷と樋口一葉は近所に住んでいながら一度も会わずじまいだった。四迷の評伝の本書で、関川さんは一葉に一章をあてる。近代の拡大とともに増殖した貧民たちの中に彼女はいた。また、四迷が最初の妻とした女はまさしくそういった貧民階級の女であった。二人は会わずとも、そういう形での「時代の接点」はあったのである。
夏目漱石とは、朝日新聞の小説を交互に連載していた間柄でありながら、六回しか会ったことがなかった。漱石は、四迷の死後、「近くて遠い友人」として、四迷を追悼している。
けれど、どうして関川さんは四迷を「二葉亭」と書いて、「四迷」と書かないのだろうか。逍遥、漱石、鴎外、紅葉、露伴、一葉などは全て名前で書いているのに。近代小説の草分けの人でありながら、自嘲し、自作を否定した点に、旧時代を捨てきれぬ四迷の姿を見て、その象徴としての「二葉亭」という「家号」で呼ぶのがふさわしいと考えたのかもしれない。
四迷の若き日の顔は、何となく関川さん自身に似ている。
CS日本映画専門チャンネルで録画しておいた『山の音』を見る。これも随分前に見たやつの再見。
原作は川端康成だが、彼は長編を雑誌を越えて何年にも渡って断続連載し続けるという変わった書き方をするので、映画化の時点ではまだ物語は完結していなかった。従って原作最終章の「秋の魚」は映画に盛り込まれてはいない。
それどころか、原作にずっと漂いつづける「死」の感覚(タイトルの「山の音」自体が死を予感させる幻聴だ)、これを脚本家の水木洋子はできるだけ薄めるようにし、父親の山村聰と嫁の原節子の心の交流に主眼をおくように改変してしまった。それはそれで普通の日本映画にはなってるのだけれど、原作を知っている者には物足りない。
「美しきかつての日本」を描いたことを高く評価されている川端康成だが、この『山の音』を含め、戦後の『古都』や『片腕』といった作品は心理幻想小説としての完成度も高い。幻想文学畑の人はそのあたりを熟知してるんだけど、普通の日本文学の研究家の認識度が低いんだよね。ツマラン垣根は取っ払っちゃった方がモノは楽しく見られるんだが。
マンガ、阿智太郎原作・矢上裕漫画『住めば都のコスモス荘』1・2巻(メディアワークス/電撃コミックス・各578円)。
アニメは福岡じゃ放送してないから、マンガを買った。小説の方も完結してるようだから買おうかどうしようか迷ったけど、矢上さん気に入ったとこだったし、まずはこちらから。
けど、これストーリーの説明はすごく難しいな。とゆ−のが、ナカミはすげえ面白いんだけど、プロットや展開はあまりにもありきたりで紹介しても全然面白そうに思えないだろうなあってのが見当つくから(^_^;)。
簡単にまとめちゃうと、
「宇宙の玩具メーカー・潟Iタンコナス社製造の銀河連邦警察採用候補超特殊汎用パワードスーツ、ドッコイダーのモニターに選ばれた桜咲鈴雄は、次から次へと襲いかかって来る宇宙犯罪人を相手に戦う毎日。けれどその犯罪者たたちは、実はみんな同じ「コスモス荘」の同居人だった!」……気づけよ(-_-;)。
「いきなりヒーロー」とか、「みんなで同居」とか、もう設定はこれまで何度繰り返されたかわかんないくらい陳腐なんだけど、やっぱりマヌケ揃いのキャラクターが生き生きとしてるから面白いのだ。でも私の一番好きなキャラクターがヒヤシンスであることは誰にもナイショだ(^o^)。
07月30日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る