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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■フェチじゃないモン!/『東京少年物語』(羅川真里茂)/『冷暗所保管』(ナンシー関)ほか
山本さんの掲示板に書きこむつもりはないけれど、原作が小説で、それが映像化された場合、その表現方法が違っている以上、本来「どちらが上か」というのは比較しても詮無いことである。カレーライスとラーメンのどっちが好きかってのは同じ食料だから比較できるけれど、カレーライスとテレビアニメのどっちが好きかなんて比較、したって意味はないってことなんで。同じ芸術だからって視点で比較できるんじゃないかって思われる向きもあろうが、「音楽と絵画とどちらの芸術性が上か?」ってのも比較できないのと同じである。
にもかかわらず、原作が映像化された時に「ストーリーを改変している」「声のイメージが合わない」「作画がボロボロ」とか原作と比較してモノを言うことができるように錯覚するのは、あくまで原作を「素材」としているからなので、言ってみれば食材の調理法を云々しているに過ぎない。アニメ化された作品が原作より面白く感じたからと言って、それは原作とアニメの目指すベクトルが違っていて、見る者の主観がアニメのベクトルに引かれたってだけのことに過ぎないんで、原作の完成度が低いってことにはならないのである。逆に原作をアニメより面白いと考える場合も同様。
『カリオストロの城』が映画としては面白くても、「『ルパン三世』としてはつまらない」と言われるのもそのためである。だから、私は、あるときは「『カリオストロ』最高! 原作はつまんない」と言うときもあるし、「あれ、『ルパン三世』じゃなくて『コナン三世』じゃん」と言うときもあるのである。視点を変えりゃ批評なんてどうとでもなるということなので、私のこの日記の批評を読んで、「私の好きな作品を貶したな!」とご立腹されることがあっても、あまり気にしないで下さい。誉めろといわれれば、昨日貶した作品でも誉めます。いやあ、『GMK』は今世紀最高のゴジラ映画だ!
……何を怖がってんのかな、おれ(^_^;)。
マンガ、羅川真里茂『東京少年物語』(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
表題作のシリーズ2編ほか、『がんばってや』を収録。
どれも「都会と地方」をモチーフにした作品になっているが、ありがちな「都会は人情が薄く、地方は厚い」的な発想で描かれているのはやや頂けない。単に他国の文化に馴染めないってだけのことでしょうに。物語としてのまとまりがいだけに浅薄な感情で描かれてる部分が目立つところが惜しまれる。
『東京少年物語・1』が描かれたのが平成3年、『2』が平成6年、『がんばってや』が平成13年と、収録作の制作に10年の開きがあるのだが、ご本人は「絵が変わってない(進歩してない)」と卑下されてるが、どうしてどうして、着実に進歩なさっておられる。確かに丸顔の大きな瞳の、マンガチックなキャラクターであることに違いはないのだが、初期はもうともかく「絵を描いてる」という雰囲気でしかなかったものが、後期にはちゃんと「人間」を描けるようになっている。……わかりやすく言えば、人物の区別がつくようになってるんだな(^o^)。人物の表情が初期はみんな同じで、泣こうが笑おうが記号にしかすぎなかったものが、最新作では「この表情はこの子にしか出来ないよなあ」という絵がたくさん描かれている。こりゃ大進歩ってもんでしょう。『ニューヨーク・ニューヨーク』のようなハードな作品を読んだあとだと、ストーリー的にはどうしてもたわいのない印象を持ってしまうのだが、絵で見せてくれるというのは立派な力量だと思う。
特に『がんばってや』の丸山舞子の関西女キャラクターは秀逸。東京人が関西女をマンガに登場させると、どうしてもうるさい、がさつ、男勝り、といったステロタイプで描かれることが多いのだが、実際に大阪女の全てがそうであったら、大阪は喋くりの騒音で道も歩けまい。もちろん舞子にもそういう特徴はあるのだが、ちょっとした表情や仕草で、繊細で微妙なときめきや切なさを表現している。青森出身で、方言コンプレックスから他人とうまく喋れない岸本寛治を、抱きかかえるようにして(っつーか、押さえつけて)泣きそうな顔で「人を……嫌いにならんといて……」なんて言うのだよ、この子は。いや、現実にこういう女の子がいたら惚れるで(^o^)。
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10月17日(木)
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