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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■放生会の掘り出し物/『博多の心』(朝日新聞福岡総局)/『魁!! クロマティ高校』5巻(野中英次)
 ハト同士でエサを奪い合い、ケンカが始まる。クチバシでつつき合うだけでなく、翼でビンタを食らわす。一発、二発。たまらず逃げる弱いハト。嘘ではないぞ、目撃したんだから。昔、『帰ってきたウルトラマン』を見ていて、テロチルスがウルトラマンにツバサでビンタ食らわせてたのを見て、「トリがツバサで敵を叩くかよ」と思ったのだが、この認識は誤りであったことが20数年後にして判明したなあ。
 しげ、ハトに埋もれた帆場英一のような私を見て一言。
 「……満足?」
 おお、満足だとも。

 オムソバは一の鳥居のある岬の石段に座って食う。
 しげ、波打ち際に行くのをちょっと怖がっていたようだったが、「大丈夫、『あんとくさま』(by『海竜祭の夜』諸星大二郎)は来ないよ」と言って慰める。慰めになってないか。
 寄せては返すワカメを見ながらオムソバ食うってのも風情があるんだかないんだか。

 放生会には毎年古本市も出る。
 これがまた意外に掘り出し物もあるので、ついいつも買い込んでしまうのだが、しげは縁日と古本市の結びつきがピンと来ないらしく、入りたがらない。
 仕方なく、一人でさっと見回る。丹念に見るヒマはなかったが、偶然、私にとってはまさしく正真正銘の出物を発見。

 朝日新聞福岡総局編『博多の心』(葦書房)。昭和51年発行で、もうとうに絶版になってるのだが、この本の「最後の職人」の項に、亡くなった祖父が取り上げられているのだ。
 祖父は沈金師というちょっと珍しい仕事の職人だったのだが、もう10年以上前に亡くなった。この本が出たころには、沈金の仕事が激減して、本気で生活に苦労していたころだった。確か、父が密かに資金援助もしていたはずである。この本は、基本的に今に残る職人の仕事を記録する目的で編まれたものだったが、その「廃れていく」雰囲気がこの本の文章にもそれとなく匂っている。平成不況どころか、職人の不景気はもう20年以上も続いている。
 というのも、祖父の「沈金」という職業、耳慣れない人も多かろうが、漆器に彫刻して、その刻み目に金箔を埋めた沈金細工を作るのだが、これが祖父の晩年のころには全くと言っていいほど売れなくなっていたのだ。要するに、世間の人間の判断は「そんな贅沢品は要らない」ということだったのだ。贅沢品と言ってもあくまで工芸品で、使われることを目的としているから、当時でも何千円もするものではなかった。しかしやはり売れない。質が悪かろうが、極端に安いものしか買わない。博多の人間は戦後、「粋」という感覚を確実に失っていったのだ。
 跡を継ぐはずだった伯父は生活が出来ずに転職した。
 それでも祖父は沈金一筋で暮らしていたが、やがて脳溢血で寝たきり生活になり、七年経って死んだ。子供のころ、遊びに行くと小遣いを必ずくれた祖父だったが、見舞いに行くと、私の顔を見た途端、必ず声にならない声をあげて泣いていた。言葉はもう出せなかったのだ。
 父が祖父の散髪をするために、私に祖父の頭を持つように言ったが、その頭はすごく軽かった。軽すぎてかえってバランスが崩れそうだった。耳毛が伸びていて、それも白髪だったが、父はそれも耳を傷つけないように丹念に切っていた。今の父なら手が震えてそう上手くは切れないだろう。あれが私と父の最後の親孝行、祖父孝行だった。
 晩年の祖父が少しでも幸福だったと言えるのは、福岡市が祖父の功績を称えて名誉市民みたいなもの(正式名称は忘れた)にしてくれたことである。別に私たちの一族は誰も市に働きかけなどしていない。もう祖父は動けなくなっていたから、そのことをどこからか聞き知った市の温情だったのかもしれない。
 福岡はおろか、九州では唯一の、そして最後の沈金師だった祖父の仕事は、もはや博多のほとんどの人が忘れ去っている。たまに祖父や伯父の作った沈金細工を老舗の料理屋の器などで見かけることがあるが、それもいずれは失われていくだろう。

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09月17日(火)
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