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無責任賛歌
by 藤原敬之(ふじわら・けいし)
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■正月の半ばに/『天才伝説 横山やすし』(小林信彦)
 朝食はカレースパゲティ。自宅で作るスパゲティは、ソフト麺に限る、が持論である。適度な固さに湯がくのが難しい棒麺に比べ、ソフト麺は少しくらい炒めるときに焦がしても、却って香ばしいくらいで、男の手料理には持ってこいだからである。麺は予め少量の焼肉のタレで炒めて下味をつけているので、インスタントのわりには味に深みが出て美味しい。
 あとでこの日記を女房が読んだら、「一人で美味いもの食いやがって」と怒るかもしれないが、自分だって外で美味いもの食うこともあるんだろうから、おあいこである。
 
 風呂に入り、昨日買ったばかりの歯ブラシで歯を磨く。毛先が山型、しかも柄が湾曲しているので歯にフィットして使い易い。この「柄を曲げる」ってアイデアだけでも特許を取ってるんだろうな。単純なことだが、最初に思いついたやつはやはりサスガとしか言いようがない。

 午前11時、郵便局を回り、博多駅の紀伊國屋へ。目的は夏目房之介『これから』だったが、つい他の本も物色。まあ、いつものことだけど。
 つい目が止まって、うっかり買ってしまったのが小林信彦『天才伝説 横山やすし』(文庫)である。ああ、単行本が出たとき、「どうせ文庫になるだろうな、で、マニアックな小林信彦のことだから後日判明したいろんな事柄を加筆したりするんだろうな、今買うと損するぞ」と思いつつ結局買っていたのに。案の定、加筆があり、森卓也の解説まで付いているのだ。こうして私は無駄に金を本屋に落としていく。ううう(T_T)。

 買いこんだ本を持って、早速マクドナルドでファンタを飲みながらまずは『天才伝説』を一読。
 以前単行本で読んだときにも思ったのだが、小林氏の「自分の見聞したことに基づいてしか書かない」という姿勢は、一見良心的だが、客観性を欠く場合も生じるという欠点を併せ持つ。東京人である小林氏には関西の芸人について書くことはもともと不慣れで、本当は本人もやりたくなかったのではないかと推察する。小林氏の『唐獅子株式会社』が横山やすし主演で映画化された関わりがなかったら、多分、小林氏の書く日本の喜劇史の中に「やすきよ」が登場することすらなかったのではないか。
 小林氏はまだしも、一般の東京人は関西芸人について驚くほど知らない。テレビ放送がないから仕方がないのだが、博多に住み、関東関西どちらの番組も平行して見ながら育ってきた私にしてみれば、東京人の無知ぶりは「それで『笑い』について語れるつもりか」と憤りたくなるほどだったのである。関東関西、どちらの笑いが上か、などという不毛な争いをしたくはないが、まずその存在を知らないことには話にならない。
 私が大学にいた頃、東京人で、松竹新喜劇、吉本新喜劇の存在を知らなかった人が殆どだった。
 漫才についてもそれは然りで、あの80年代の『花王名人劇場』を中心とした狂乱の漫才ブームが、例えば福岡ではそれ以前からのずっと「地続き」のものだと認識されていたのに対して、東京ではほぼ突発的かつ衝撃的に迎えられていたように思う。
 別に「やすきよ」は「漫才ブーム」で出て来た人ではないし、確かに「花王」で漫才のトリをよく務めてはいたが、関西漫才師のベスト、と地元の誰もに認められていたわけでもない。東京人がその辺を錯覚するのは、結局、「それ以前」を知らないからだろう。
 『天才伝説』の中にこんな笑える一節がある。
 1974年、大阪にいた小林氏が知人に誘われる。
  「『さ、ハザマ・カンペイを観に行きましょう』
   『ハザマ・カンペイって何ですか?』」
 小林氏にすれば、正直に自分の経験を語っただけだろうが、「1963年から大阪の芸能を見ている」わりにこの程度の認識だ。
 後年、吉本新喜劇が東京に進出し、間寛平の独特のボケぶりもようやく東京で知られるようになったが、彼の旬が20年前に終わっていることは関西以西ではとっくに分っていることだ。東京人は「カンペーちゃん」の残りカスを見て喜んでいるのである。

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01月13日(土)
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