ID:105004
【保存版】光玉の勲章はインチキ勲章
by .
[99450hit]
■(fake 008 岡田光玉の真実)
行幸され、優等生に御下賜品を賜った。
恩賜品は、その時期によってさまざまであったが、
のちには銀時計に統一された。
高級時計。
それは士官学校卒業生にとっては、優等生が頂く銀時計を連想させるものではないか。それ、高級時計を賜る方は、当時にあって、陸海軍の統帥権を司る絶対的権威。高級時計を自分が次の代に授与するという光玉の試みは、
自分が天皇陛下の真似をした気分を演出してくれる気配が無いとはいえない。
それが光玉の場合、アメリカ金貨をかたどったスイスの高級時計。
[1333]教祖と裁判 by.A 2002年05月23日(木) 05時30分
20日読売新聞では、松本被告は弁護団の接見に応ぜず、反証方針の打ち合わせにも「何のご用ですか」と言い放ち、接見室にすら姿を現さなかったという。
「何のご用」と言ったって。
消えた「手かざし宗教の真実」に崇教真光の岡田光玉と、この教祖に手をやいた弁護団ではなく、この場合弁護士さんのやりとりが、なんと心霊研究雑誌に出ている。ということが話題になっていた。そのまま出したほうが誤解がないと思う。
01/11/19「さすら」について
「さすら」は東京の早稲田にある「日本心霊科学協会」で閲覧できます。
一部については、貸し出しも出来ると思います。
01/11/19
Re:心霊医学会
「さすら」は神道研究の学術誌で、たとえば國學院大學の図書館にも蔵書があります。このような書誌にこのような記事がのるとはおどろきです。
(このような記事とは、次段の奥一夫弁護士の談話のこと。神道研究家の紹介に数々の質問が。)*新着順に投稿を並べたので↓が最初。
01/11/17
>>金井南龍主宰、神理研究会「さすら」この文献についてもう少し詳しく教えてくださらないでしょうか。国立国会図書館などで閲覧できるでしょうか。
「さすら」は国会図書館に架蔵されていますが、あの文章が何年何月号か明かしたくありません。資料が破戒隠滅される可能性が有るからです。
私が引用した部分は、奥一夫といい救世教の顧問弁護士をしていた人でした。
既に故人ですが、東京弁護士会の副会長をしていた事も有ったようです。
心霊医学会は今では存在しないようです。岡田道一と二木健三が中心になって発足したようです。岡田道一がずっと理事長をして、二木健三が初代会長、二代目会長が小川勇でした。
(「さすら」に出ている奥弁護士の記事とは↓)
01/11/09
岡田光玉は昭和三十三年結成された岡田道一の主宰していた「心霊医学会」の理事を務めていた。
岡田道一の著書、「霊癒の科学」には賛同者として岡田聖玉(*光玉の別名)の名が掲載されている。
金井南龍主宰、神理研究会「さすら」
その一
金井 石田先生ネ、、、、岡田○○ね、、、話が横に飛んで済まないのですが、何千から何万という具合に信者が増え出すと、、、信者が二ケタか三ケタ位のとき、酒席で一緒に軍歌など歌ったときには、嘗ての軍人のときのスナヲさを裸になってサラケ出しましてネ、、、コイツ、、、好いとこあるわい、、、なんて思ったんですが、、、いつしか「生き神様」の「積分人間」になって了うと、無学文盲ならソレで押し通せますが、彼は高級将校で理性のカケラがあったでせう、、、それで、、、絶対自己の矛盾撞着を感じていたんですネ。その統一とは死でしたよ、、、
石田 馬鹿と気狂い、、、は長生きすることに、、、
[1334]1333「さすら」続き by.A 2002年05月23日(木) 05時46分
世の中宗教裁判位六ヶ敷しいものはない。ということを奥弁護士は其の体験からして云われている。氏の懐旧談は中々薀蓄に富んで居るのである。
二木博士(岡田道一の間違い)創設の心霊医学会に奥さんと家内(金井)さんは好く理事としてその名の如く隣り合って座ってたものである。
「彼、わしの顔は、人間であるならば、マトモに見られたものでないのに、、、」
「狐霊(どうぶつ)だからシャーシャーしてますよ」
これは岡田光玉理事のことについての二人の囁きである。
[5]続きを読む
04月29日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る