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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「遠い山なみの光」


最近は思い悩む作品はパスして、ストレートな直球作品ばかり選んでいます。この作品は前者の気がしていましたが、そこそこ評判が良いので観てきました。内容はほぼ仕入れていませんでしたが、想像していたより、思いの外楽しめました。私は戦後と原爆をモチーフにした、母性を描くファンタジーだと思いました。監督は石川慶。

1980年代のイギリス。日英ハーフのニキ(カミラ・アイコ)は、大学を中退して作家を目指しています。母悦子(吉田羊)は、戦後に連れ子の景子を伴い、ニキの父親と再婚、渡英しています。景子はイギリスに馴染めず自殺。父も亡くなり、瀟洒な実家は、今は悦子一人が住んでいます。悦子に戦後すぐの日本の事を尋ねたくて、ニキは久々に実家に戻ります。悦子は佐知子(二階堂ふみ)、小学生くらいの万里子(鈴木碧桜)親子と過ごした、ひと夏のお話を語り始めます。

雑なのか狙っているのか、色々ちぐはぐなシーンが多々あります。まず悦子が住んでいた団地。1952年=昭和27年に、長崎に団地なんかあったっけ?と思い、調べてみました。そしたら、やっぱり第一号の団地は大阪の堺市で、昭和31年です。長崎はもっと後だと思います。ただ住まいの間取りは、暮らしやすそうだし、風情のある旅館のようで、中々素敵です。

舅(三浦友和)は元校長で、どうやら悦子はその学校で音楽教師をしていたらしい。そして悦子は被爆しているのを夫(松下洸平)に隠しているのに、舅は知っている。そして「お義父さん」とは呼ばずに「緒方さん」と舅を呼ぶ悦子。あの時代、いくら舅が気楽にと言っても、はいそうします、とはならないでしょう。

バラックの掘っ立て小屋に住んでいるのに、いつもいつも艶やかな佐知子の装いに対して、娘の万里子は髪はざんばら、服装も小汚い。恋人はアメリカ人なのに、イギリス式のティーセットがいつも用意されている。

その他わんさか、辻褄が合わない、時代にそぐわない描写がいっぱいで、そこに引っ掛かるともう興が削がれ、先に進めないと思います。しかし、ミステリアスな悦子のお話の秘密が、ニキの手によって明かされると、あぁそういう事だったんだと、合点が行きました。

以下ネタバレ。私の考察です。



景子は万里子、佐知子は存在せず、それは悦子自身であった事。劇中悦子は身籠っていますが、それがニキだったんじゃないかな?だから渡英の年月も違うのかも。戦後の混乱で未亡人となった悦子は、当初は通訳として仕事を得ていたでしょうが、それでは生活出来ず、うどん屋で働くも、長崎で被爆した事を侮辱され、それも辞めてしまう。行きつく先は、外人相手の娼婦だったのじゃないかな?それがあの、派手な艶やかさだと思う。

劇中の夫は傷痍軍人として描いていますが、今でいうモラハラ亭主だったようです。でもあの時代、モラハラ以外の夫はいなかったと思う。劇中の夫は、悦子の戦死した夫への慕情が感じられます。舅は戦前の思考の象徴でしょう。あれは義父ではなく、悦子の実父が投影されていたのかもしれません。

それなりの教養のある家庭で育ったであろう、悦子。子供を抱えての当時のシングルマザーは、今以上の苦しさがあったでしょう。私はそのストレスから、景子を虐待していたと思います。学校にも行かせていないし、佐知子は常に娘にはそっけない様子でした。

あの猫殺しは、本当の事でしょう。それを観ていた景子は、ロープを持った母に殺されると、思ったのかも知れません。それが折檻に繋がり、行方不明の万里子を探しあてるシーンの、ロープの傷痕に繋がっているのだと思う。

今の母子の状態を、一番危険だと思っていたのが、悦子本人だと思う。だから海外へ移住すれば、夫がいて経済的に安定すれば、景子も上手に養育出来て、全てが救われると夢想したのでしょう。

彼女が実際に相手していたのは、アメリカ人が圧倒的だったと思う。だけど、原爆を落として、彼女の人生を狂わせたアメリカは嫌だ。だから、千載一遇の相手、ニキの父親に縋りついたんじゃないのかなぁ。


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09月16日(火)
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