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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「教皇選挙」

わー、凄い。素晴らしい!まだ三月だけど、ぶっちぎりで今年一番です。キリスト教信者ではない私にも、自由に解釈出来たのは、作品の懐が深い証しです。宗教とは哲学であるべきだと痛感する作品。監督はエドワード・ベルガー。本年度アカデミー賞脚本賞受賞作(ピーター・ストローハン)。
キリスト教最大の教派である、カトリック教会の総本山・バチカンの教皇が亡くなります。主席枢機卿であるローレンス(レイフ・ファインズ)は、管理者として、次期教皇を決める選挙(コンクラーベ)を執り行います。
次期教皇の有力候補は、イタリア・ベネチア教区の保守系・伝統主義者のテデスコ(セルジオ・カステリット)、初の黒人教皇を狙うナイジェリアのアデイエミ(ルシアン・ムサマティ)、カナダ・モントリオール教区の穏健保守のトランブレ(ジョン・リスゴー)、アメリカ出身でリベラル派最先鋒のバチカン教区のベリーニ(スタンリー・トゥッチ)の四人。こう書くと、ほぼ政治と同じです。
鑑賞前は、この手の傾向もあるだろうとは予想していましたが、まさかここまでとは、と感じる生臭さ。ライバルのかつてのスキャンダルの暴露、賄賂、その他、足の引っ張り合いの数々。あちこちで煙草を吸い、吸殻は路上にポイ捨て。美食とワインの日々を整えるのは、シスターアグネス(イザベラ・ロッセリーニ)始め、数多くのシスターたちなのに、感謝の言葉も無し。彼らが聖職者であるというフィルターが、全ての裏をねじ伏せている。
教皇が亡くなる前、主席枢機卿の退任を申し出ていたローレンス。教皇が退任を認めなかったのは、死期を悟り、自分にコンクラーベの管理をして欲しかったのだと、その意を汲み、マネージメントに心血を注ぎます。
私がとても感服したのは、遺体でしか出てこない教皇の偉大さが、コンクラーベの中で浮き上がる事です。ローレンスを指名した事しかり、様々な戦火の中で、布教に邁進していたベニテス(カルロス・ディエス)を守るため、秘密裏に枢機卿に任命していた事。ある枢機卿の悪事を見逃さなかった事。ローレンスは「私は教皇の器にない」と、再三語りますが、その器とは何なのか、亡くなった教皇の足跡を辿れば、解かる気がします。それは決断力なのでは、ないかしら?
始めは乗り気でない風だったベリーニの本音は、「枢機卿になったなら、教皇になりたくない者などいない」でした。そして、ローレンスに「自分に向かい合え」と言います。ローレンスが自分に向かい合い、何度目かの投票用紙に、初めて別の名前を書いた時、何が起こったのか?私はその時、これは神の啓示ではないかと思いました。一番にそう感じたのは、誰あろうローレンスだったと思います。彼が足るを知った瞬間です。管理者として規律を守るためには、規律を犯さねばならず、そのやるせなさに涙するローレンス。しかし、ここでも亡き教皇が、彼に味方するのです。
私が心を打たれたのは、そこかしこに、亡き教皇や神の息吹、導きがあった事です。それは厳かで暖かい。見守るという言葉の意味は、この事なのかと思いました。自分で頑張って答えをチョイスさせ、煮詰まり手詰まりになり、くじけそうになって、初めて手を貸すのです。答えは、自分で選ばせる。
昔のスキャンダルに追いやられた枢機卿は、「大昔の事が、未だ許されないのか?」と涙します。ローレンスは「あなたは既に許されている。祝福されている。だから辞退するのです」と言う。私は「悔い改める」という言葉が浮かびました。悔いた事を改めるのであって、改めたら悔いた事は無くなるのか?そうではないのだ。生涯忘れず悔いていくから、心が改まるのじゃないかしら?その真摯な決意に、神は祝福してくれるんじゃないかな。このシーンが、とても心に残りました。
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03月26日(水)
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