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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「愛を耕すひと」

邦題は嘘八百の作品。と、鑑賞直後はそう思いましたが、主人公のケーレンは、長い長い開拓の道程で、自分の中の愛を見つけ出したのだから、妥当な題名なのかも?と思い直しました。足るを知る事は、自分だけではなく、周囲の人にも安寧をもたらすものかもなぁと、深く感じ入りました。監督はニコライ・アーセル。
18世紀のデンマーク。貧しい退役軍人のケーレン大尉(マッツ・ミケルセン)は、長年の不毛の地である荒野を開拓する事を、宮廷に願い出ます。報奨は大金と貴族の称号を賜る事。それを聞きつけた地主の有力者デ・シンケル(シモン・ベンネビヤウ)は、自分が土地の所有者だと因縁をつけ、ケーレンの開拓の邪魔をします。屈せずに励むケーレンに、牧師のアントン(グスタフ・リン)は、デ・シンケルの凄惨な拷問から逃亡して来た夫婦者のアン・バーバラ(アマンダ・コリン)とヨハネスの夫婦を紹介。ケーレンは雇い入れますが、この事がデ・シンケルの知る所となり、二人の戦いの火蓋が、切って落とされます。
原題は「私生児」。実はケーレンは、貴族が使用人に手をつけて、産ませた子供です。デ・シンケル曰く、当時のデンマークの貴族は、そのような出自の男子は、みんな軍隊に放り込んだのだとか。ケーレンが貴族の称号に固執するのは、自分の出自からです。母への想いというより、自分を捨てた父親に、同じ立場に立つ事で、復讐したかったのでしょう。
25年かかって大尉まで上り詰めたケーレンは、大層頑張ったのだとの他者の台詞もあり、ケーレンのような男性の多くは、途中で退役したり朽ち果てたのでしょう。これらの事から、彼が不屈の人だと解かる。デ・シンケルのやり口は、差別・暴言・殺戮・暴行など、あらん限りの蛮行ですが、それでもケーレンは屈しない。
ケーレンは不屈なだけではなく、超が付くほど頑固で、嫌味な孤高の人です。当初アン・バーバラから「何様なの?」と、陰口を叩かれる。頑なで人を寄せ付けない。それが変化していったのは、残忍な方法で、ヨハネスがデ・シンケルに処刑されてからです。アン・バーバラに謝罪するケーレン。己の人生でこれでもかの辛酸を舐めたはずの彼ですが、哀悼や詫びという感情は、初めて感じたのではないかな。成り行きで引き取った、タタール人のアンマイ・ムス(メリーナ・ハーグベリ)や、自然に妻のように自分に添うアン・バーバラの存在は、彼に人間らしい、血の通った心を呼び覚まします。
しかし、止まないデ・シンケルの悪行に対抗するため、ケーレンは一つ一つ、その愛たちを手放し、そして人は離れていく。どこかでデ・シンケルと和解という方法があったのではないか?和解は、屈服する事とは違うと思います。心から国を想い、荒涼とした土地を愛するがための信念なら、貫けば良いと思う。しかしケーレンは、貴族の称号を得る事に執念を燃やしている。自分の出自に愛憎を向ける代償のように、彼から大切なものが失われるていくのです。彼が貴族の称号に固執せず、自らの人生を豊かにする愛を選択すれば、こんなにたくさんの人は死ななかったはずです。
一方、デ・シンケルは、何故こんなに残忍なのか?執拗にケーレンを貶める様子は、彼のコンプレックスの裏返しのように感じます。地位も財産も、親から受け継いだもので、貴族の称号も父親が買ったもの。それ故に貴族が本来備わるべき教養や知性も見識もない、サディスティックな男に成り下がったのではないか。残忍さで人々を怖れさせる以外、自分を大きく見せる方法が、解らないのです。だから、ケーレンのように、地位にも金にも屈しない男が現れると、何をどうすれば良いか解らず、どんどん残忍さが増大する。従兄妹で婚約者のエレル(クリスティン・クヤトゥ・ソープ)が言う、「ごめんなさい、従兄弟は敬意を学び忘れたの」の台詞は、デ・シンケルを的確に表していると思います。
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02月21日(金)
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