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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ふたりで終わらせる」


DVとは、どういう状態であるのか、何を差していうのか?そこが綿密に繊細に描かれている作品。扇情的に描くことなく、抑制の効いた、知的な作風で、とても感銘を受けましました。監督は相手役で出演している、ジャスティン・バルドーニ。今回ネタバレです。

花屋を開くのが夢の若い女性リリー(ブレイク・ライブラリー)。店を手伝ってくれるアリッサ(ジェニー・スレイト)の兄で、医師のライル(ジャスティン・バルドーニ)の真摯なアプローチに、身持ちの堅い彼女の気持ちもほぐれ、付き合う事に。リリーの母と三人で食事に行く事になります。その店は、偶然にもリリーの初恋の相手アトラス(ブランドン・スクレナー)のお店でした。

リリーとライルの出会い、ライルの妹アリッサが働くきっかけ、リリーとライルの再会。まるで古めかしい恋愛映画を観ているようで、少々退屈です。その後の、順調に愛と仕事を育むリリーの様子も、ライル兄妹が裕福なので、(ライルは脳神経外科医、リリーも市長の娘)ゴージャスな二人の愛の交歓の様子に、もうお腹いっぱい(笑)。それでも見目麗しい妙齢の男女のロマンス風景は、それなりには楽しめます。

それが一時間ほど続いたあと、これはこのお話しの壮大な序章で、後で思い返す時に必要だったんだなと、痛感します(なので、苦手な人は我慢してね)。

冒頭の出会いの時に、手術が上手く行かず、盛大にライルが椅子を蹴っ飛ばす様子で、テーマのDV男は、この男性だなと思いました。アトラスとリリーが恋仲だったのは、高校生の時。不仲で別れたわけではなく、懐かしさいっぱいの二人。私たち観客には、リリーは郷愁に駆られているのであって、過去の男性だと一線を引いているのが判ります。それがライルには判らない。

徐々に変貌していき、リリーに執着し始めるライル。二人がまだ恋愛関係で無かった時は、彼女の意思を尊重し、行為には及ばなかった人なのに。どこが線引きだったのか?私は「あなたを愛している。私はあなたのものよ」と、リリーが甘く囁いた時からだと思う。リリーには愛しい人への誓いの言葉だったのだけど、ライルはあの時からリリーの事は、愛しさでも、所有物めいて思えたのでしょう。

切欠は、毎回リリーからです。少々誤解されるようなシチュエーション、正直すぎる返事。一見上手く立ち回れない彼女に非があるように、作品は描きます。でもそうでしょうか?リリーはいつもライルの顔色を窺い、本心を言わないのは、正しいのか?違います。妻から自分の思う返答が無かったとして、暴力を振るうのが正しいのか?違います。結婚後、知らなかった相手の異性遍歴が露になった時、自分がバカにされたと、相手に暴力をふるって良いのか?違います。愛しているなら、パートナーを信じる、ではないかな?

暴力性は、人間なら誰しもが持つものだと、私は思っています。夫に暴力をふるう妻もいるし、他者に暴力をふるう人は、男女ともいます。それを抑制するのが、知性や理性ではないか?ライルは医師です。疑う事無く知能は高いでしょう。そこに惑わされてはいけないのでしょう。

実はリリーの亡き父親も、リリーの母である妻を殴る人でした。妻だけではなく、娘であるリリーをも傷つけていました。リリーは母に、何故離婚しなかったのかと問うと、「離婚は面倒だった。それに夫を愛していた」と答えます。

今の時代なら、問答無用で離婚でしょう。でもリリーの母は私と同世代。DVなんて言葉はなく、夫が妻を殴っても、殴られるような事をした妻が悪い、と言われた時代です。敬意を持たれるのは夫だけ。家庭の中で上下関係がある。人権意識も薄く、養って貰っているという負い目に、人として尊厳を奪われ続ける日々が、思考を鈍らし、離婚が面倒になる。そして経済的に自立していた女性は、圧倒的に少なかったはずです。


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12月03日(火)
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