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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「侍タイムスリッパ―」

何と時代劇の自主映画。奇跡のような傑作でした。前半はカルチャーギャップで大いに笑わせ、後半は普遍的な人の心の機微を、陰影深く描いています。監督は安田淳一(脚本も撮影も編集も!)。
時は幕末。会津藩士の高坂新左衛門(山口馬木也)は、同僚の藩士と二人、長州藩士の山形彦九郎を暗殺せよとの、家老の命が下り、京に来ています。新左衛門と彦九郎の立ち合いの真っ最中、雷が落ちて気絶。目が覚めると、新左衛門は京都の時代劇撮影所に居ました。混乱する彼は、助監督の優子(沙倉ゆうの)や、寺の住職夫妻(福田善晴・紅萬子)の優しさに助けられながら、やがて時代劇の斬られ役を目指します。殺陣師の関本(峰蘭太郎)の門下に入った彼は、メキメキ頭角を現します。そこへある映画の出演打診が舞い込み・・・。
主演の山口馬木也は、「剣客商売」の大治郎役で当時毎週観ておりました。誠実で腕の立つ美剣士ぶりに、先代の渡部篤郎より肩入れして観ていましたので、なんでもっと売れへんのやろか?と少々不満に思っていました。なので今回は彼も目当てでした。
山口馬木也は安定しているけど、いうても自主映画。殺陣はそれなりやろと想像していたら、冒頭でその予想が吹っ飛びます。見応えのある殺陣に、ピカッと雷で二人の形相が映る。セオリー通りの王道の撮り方ですが、「うま〜い」と思わず口にした直後から、現代へ。
前半はシチュエーションコメディ仕様で笑わせながら、新左衛門の愚直で純朴、礼儀正しい好人物であることを映します。初めて食するケーキの美味しさに、「誰もがこのような美味しい物を口にする事が出来るとは、日本は良き国になったのですな」の言葉にハッとします。新左衛門は、初めて目にするテレビに、ドラマの時代劇が映ると、喜怒哀楽全て刺激される勧善懲悪に感激して(←民放の時代劇はほぼこれ)、涙する。何だか大事な事を再認識させてくれます。
大スターの風見恭一郎(冨家ノリマサ)。彼が新左衛門を見染め、自分の映画に出てくれと言う。風見がキーパーソンとなり、ここから物語は、アットホームなコメディから、別の扉を開きます。
時代劇の大スターであった風見が、何故一度は時代劇を捨てたのか?そして、また時代劇に帰ってきたのは、何故なのか?そこには兵士のPTSDのような痛切な葛藤と、かつての恩讐を超えて、「武士の心」を世に残したいとの、深い想いがあります。
対する新左衛門は、役者としても、現代人としても、まだまだひよっこ。風見の深い懐には、まだ飛び込めません。悪い事に撮影中に、自分の知らぬ会津藩の哀しい末路を目にします。荒んでいく彼の心は、自分の故郷を救えなかった、独り自分だけがおめおめ生き残った無念さです。戦争に生き残った人のような、苦しみがあったのでしょう。
ラストの風見と新左衛門の、一対一の立ち回りが出色です。たくさんの悪漢を、バッタバッタ切り倒す大立ち回りの演出は、今でも目にしますが、見応えのある長回しの立ち合いは、久しぶりに観ました。構えたまま二方動かぬ事数分。もう緊張するのなんの。このシーンは、緊張感を倍増する、あるツールがあるのですね。この立ち合いの終わりに、涙ながら新左衛門が感じた事は何か?命を取ったり取られたりする事は、決して死んだ人たちの鎮魂にはならないと、悟った事だと思います。それは、現代に生きて身に着けた、武士の心ならぬ「人の心」ではないですか?
山口馬木也が期待通りの好演です。いつまでも垢抜けない田舎侍ぶりが、素朴に感じて、とても好印象です。剣豪ではあったが、禄高に恵まれなかった下級武士であるとの悲哀も滲ませて、改めてファンになりました。
びっくりしたのが、冨家ノリマサ。えっ、こんな立派な役者さんやったん?今までどこにお隠れに?というくらい、器の大きく聡明な風見の人柄を、飄々と泰然自若に、または熱のこもったお芝居で、見事に表現しています。この人もいっぱい見かけますが、ブレイクしたとは言い難く、これを機にこの人ももっと観たいです。
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09月17日(火)
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