ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[927099hit]
■「あんのこと」

観てから二か月以上経ったのに、まだ感想が書けるくらい覚えているのは、この作品に力があるからです。都市でのロングランヒットで、地方の公開も始まっているようで、主人公・杏(河合優実)の事を、たくさんの人が知り、作り手の志の高いメッセージを受け取ることは、とても尊いことだと、私も思います。ですが尊いが故に、雑な脚本や作りが頭から離れず、それを中心に書こうと思います。監督は入江悠。
自堕落な母親(河井青葉)に育てられ、若くして覚醒剤に溺れ売春している杏(河合優実)。ゴミ屋敷のような家で、祖母(広岡百合子)と三人暮らしです。ある日警察に逮捕され、そこで知り合った刑事の多々羅(佐藤二朗)から、自助グループへの参加を勧められます。多々羅やジャーナリストの桐野(稲垣吾郎)の助言によって、生きる道しるべを持った杏は、家を出て介護施設で仕事を始めます。順調に生活が回り始めた頃、世の中をコロナ禍が襲います。
新聞の記事より、監督が想起して描いた内容なので、フィクションです。しかし脚本が雑で、ちぐはぐな箇所が多いのです。特に後半。
前半はあまり問題は感じませんでした。家では虐待、ろくに小学校も行けず、12歳の時には、母親の強制で既に売春をさせられる杏。客によって覚醒剤を打たれ、稼いだお金はほぼ全て母親が使っているのでしょう。ほとんどの観客が、観ていて辛かったはず。
まともな大人は知らずに育った彼女が、多々羅や桐野と知り合い、初めて信頼できる「大人」と接し、ぐんぐん人として成長していく様子は、目を見張ります。彼女が本来持っていた、人としての人格の高さ、優秀さを感じずにはいられません。如何に環境が人の成育を左右するかを表している。
コロナ禍により、仕事は待機、通い始めた夜間中学も休学、自助グループもある理由があり、活動停止。杏なりの豊かな人生が芽吹いたばかりの時に、芽を摘み取られたわけです。人と接する環境は、人生の充実や成長と密接に関わっているのが汲み取れます。
ここまではとてもいい。しかし、杏を執拗に追い回す母は、お金だけの問題で娘に固執しているわけではないようです。娘を「ママ」と呼ぶ母など、私は見た事がない。明らかに祖母と母、母と杏の関係性に歪みがあると感じますが、映画はその事を問わない。杏は自分に優しかった祖母に愛着があると言いますが、一緒に暮らしているのに、自分の娘の孫への虐待に何も言わない祖母が、良い祖母なのか?そんな訳ないです。昔から今のような、か弱い老女ではなかったはずですから。杏の母は、自分の母親を邪魔に思いながらも、捨てる事もしません。
普通に想起して、祖母と母にも、似たような確執があったと考えられます。杏を知るだけでいいの?問題提起したいのなら、母の過去にも言及すべきだと思います。そして杏の父は?その事にも言及がない。離婚か死別か、それとも父がわからないのか、それも言及無し。片手落ちです。この母を観て、怒らない人はいません。でも一方的に母親だけの問題ではないはずです。
そして痛感するのは、無知は罪だという事です。ここまで来ると、行政の助けなしには、立ち直れません。警察に逮捕されるかもですが、それはチャンスです。事実、杏はそこから自立が始まりました。助けてと叫ぶ事が、如何に大切か、「市子」を観た時の感覚が蘇ります。
杏の落ち着いた先は、DV被害者などを保護するシェルターのようです。しかしコロナ禍以降の描き方が、本当に謎。シェルターに入ったという事は、行政と繋がったのでしょう。杏の担当のケースワーカーが付くのでは?多々羅や桐野とは別に、彼女を導く存在が与えられるはずです。
早見あかり演じる母親も謎。多分同じシェルターの住人なのでしょう。夫に見つかったのか、いきなり最低限のものだけを渡して、見ず知らずの杏に、まだ赤ちゃんの我が子を託す。いやもう、本当に有り得ませんよ。
[5]続きを読む
08月12日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る