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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「鬼平犯科帳 血闘」

偉大な先達を受け継ぐのは、本当に難しいもんだなぁと、痛感しました。この作品単体なら、何の不足もないのに、どうしても吉右衛門版平蔵と比べてしまい、物足りなさが否めません。藤田まこと版「剣客商売」と仲代達也版「三ツ矢清左衛門残日録」を、それぞれ北大路欣也が継いでいますが、それと同種の感覚です。監督は山下智彦。
火付盗賊改方長官の長谷川平蔵(松本幸四郎)。若かりし頃の馴染みであった居酒屋の娘おまさ(中村ゆり)が、平蔵の元にやってきて、平蔵の密偵になりたいと願い出ます。妹のような存在だったおまさを案じ、これを断る平蔵。諦めきれないおまさは、今追っている件で、自分が手柄を立てたなら、密偵にして欲しいと申し出ます。
私はドラマ版の「鬼平犯科帳」が大好きで、今もケーブルで放送していると、ついつい見てしまいます。そして吉右衛門亡き後、平蔵を演じるなら絶対幸四郎だと思っていました。それがこんなに物足りないとは。先に日本映画専門チャンネルで放送された「本所・桜屋敷」でも同じ感想でしたが、それから進歩はなかったかなぁ。人生の詫び寂びや、哀歓・情感が、足りないように思います。
先ず平蔵ですが、比べてしまうと、吉右衛門版にあった、懐の深さとか、清濁飲み合わせて浄化するような、そんな人としての奥行が、幸四郎版には乏しいです。これは演者より、演出の違いのような気が。賊の前で「火付盗賊改、長谷川平蔵である!」が、決まり文句でしたが、幸四郎版は「ある!」が無い(笑)。有る無しでは、こちらの気持ちが全然違う。「ある!」があると、気が上がるんです。この台詞は「水戸黄門」の、「この印籠が目に入らぬか!」ですよ。何でとっちゃったんだろう?
おまさは決死の覚悟で、平蔵が追う網切の甚五郎(北村有起哉)の盗人宿を見つけ出しますが、手下に暴行を受け凌辱され瀕死です。そこへ聞きつけた平蔵が、たった一人でおまさを助けに乗り込む。その時のドラマ版のセリフは、「だれでぇ、お前は!」に対しての平蔵の返事は、「おまさの色よ!」でした。
これが今作では、「お前はおまさの色か!」に対して「おお、そうよ」です。えぇ!何で変えるの?問われるのと、自ら言うのは全然違う。ご存じない向きに解説しますが、平蔵とおまさは、深い男女関係はありません。妹のような愛しさ⇔初恋の人のような淡い乙女の恋心、です。大人になった今、恋心は封印して、慕う気持ちだけを保とうとしているおまさ。梶芽衣子が、感無量の万感の思いの女心の表情を浮かべて、私はこのシーン大好きでした。中村ゆりも負けず劣らずの表情だったのに。おまさの色だと自ら宣言するのは、おまさの汚された身体を浄化してやりたいからなんです。だから、平蔵自ら言わなきゃいけないの。原作は一緒なんだし、別に新機軸で大胆な脚色もしないのなら、以前のままの方が良いです。幸四郎の起用は、吉右衛門を意識しての事でしょう?
久栄(仙道敦子)もなぁ。仙道敦子を観て、如何に多岐川裕美の久栄が素晴らしかったか、再確認しました。年を重ねても可憐で、どこか天然。だけど案外しっかり者の久栄は、仕事で疲弊する夫を癒すに充分だったでしょう。ところが今回の久栄は、なかなか手強く、夫の尻を叩いて出世させたい妻に感じる。仙道敦子は元々清楚な美人なのに、何であんな濃いメイクなんだろう?一瞬般若に見える時もありました。
「梅安」も私は緒形拳の印象が強いですが、小林桂樹や渡辺謙も観ています。これらの人にたちの梅安にあった愛嬌は、トヨエツ版梅安には全くなく、終始クールでニヒルだったトヨエツの梅安には魅了されました。なので新たな世界観で演じるのは賛成ですが、先達を踏襲しているはずの人物像で物足りないのは、残念でした。
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05月14日(火)
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