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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「落下の解剖学」


昨年度のカンヌ映画祭パルムドール受賞作。カンヌの受賞作は相性が悪くて、いつもなら食指は湧かないのですが、この作品は受賞を聞いてからずっと待ち遠しくて。期待に違わぬ作品で、私的には傑作だと思います。監督はジュスティーヌ・トリエ。

フランスの人里離れた、雪深い山荘に、夫婦と11歳の視覚障害のある男子ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)が暮らしています。ある日、犬の散歩から帰ってきたダニエルは、ベランダから転落した父(サミュエル・テイス)を発見します。当初は事故死だと思われたのが、一転して流行作家の妻のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が容疑者に。果たして真相は?

冒頭の事件から直ぐ、映画は法廷場面に。やり手の検事(アントワール・レナルツ)に対して、サンドラは旧知の弁護士ヴァンサン(スワン・アルロー)を雇います。丁々発止のやり取りは、緩やかなテンポのながら、夫婦の傍からは伺えぬ内情を浮き彫りにします。

私が特に、あぁそうかも?と感じたのは、冒頭で女子大生が、サンドラにインタビューする場面。わざとずらした返答をして、女子大生の様子を楽しんでいるように見えました。サンドラはバイセクシャルだと明かされ、彼女を誘っていたと、検事は言うのです。言われてみれば、ザンドラは艶めかしかったように、私の記憶は上書きに。。表面では不確かな事は、見方によれば真逆の方向へ行ったり、記憶は検事や弁護士の言葉に誘導されていく。決して捏造ではないのが、ポイントかと。「私は彼を殺していない」と言うサンドラに、ヴァンサンは「そこは重要じゃない。君が人の目にどう映るかだ」と言います。何度も法廷場面で目にする光景ですが、この辺は良く描けていました。

そしてびっくりしたのが、女性の裁判長。裁判内容がどんどん進むと、ダニエルの精神が耐えられなくなる危惧しと、傍聴を欠席する事を勧めます。。「僕は大丈夫です」と答えるダニエル。「あなたが大丈夫かどうかを気にしているのではない。あなたの感情を気にする状態が煩わしいのだ」的な返事をする裁判長。充分今でも傷ついているはずの子供に対して、この言い草はないでしょう。日本でもこんなに冷酷なのかな?このセリフは、裁判長に性別は関係なく、女性的配慮を求めるなという事かな?

ラスト近くに再現される、夫婦喧嘩の様子。そこには普遍的な夫婦のパワーバランスが描かれます。要するに、お金を稼いでいる方が優位だという事。妻に存分に書かせるため、自分は教師として働きながら、家事や育児を担う夫。「僕は日々君に合わせて暮らしている!」と怒りを込めて告げる夫。彼は自分を殺していると感じている。それは昔の自分を見ているようでした。夫の言葉に、自分を重ねる女性は多いのじゃないかなぁ。

サンドラは女性と不倫経験もある。いやいや、もうどこかのダメ亭主みたいじゃないか、サンドラ。女学生とのインタビューを、夫が邪魔する様子など、夫は妻の性的嗜好は女性だと感じている。ハンサムなヴァンサンの好意も受け入れない様子など、私もサンドラは、バイセクシャルというより、レズビアンなのかなと感じました。自分の妻を寝どる相手が女性というのは、夫に取って屈辱だったろうとも思います。

夫は本当は自分も小説を書きたいのです。しかし、ある事から、才能の無さを突き付けられ、サンドラはそれを軽々と超えてしまった。ダニエルの視覚障害も、夫には遠因があります。その償いも込めて、家庭に置いて内助の功を選んだのでしょう。しかしそこに遣り甲斐を見いだせず、優秀な妻に、どんどん水を開けられるのは、時間の無さだと決めつける。それは妻のせいだとの他罰的思考は、自分の通ってきた道なので、本当に本当に理解出来ました。 


 夫は伝統的な旧来の男女の在り方に、自縛されてはいなかったか?同じように息が詰まっても、私が病まなかったのは、妻であり母であったからです。私はこの夫と私は、表裏一体ではないかと感じました。


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03月01日(金)
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