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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」

長い映画が大嫌いと公言して幾歳月。駄作がほぼないレオの主演、何度も組んで秀作も多いスコッセシが監督(「ウルフ・オブ・ウォールストリート」が大好き)、おまけに悪役がデ・ニーロなんで、観ない選択なんかあるもんか。と、決死の覚悟で206分観て参りました。あっと言う間、とは言いません。実話が元の大事件なのに、淡々と進む画面に、まるで狐に摘まれた気分。少々冗長だなぁと思いつつ、終盤のセリフに目が覚めました。その意味を体感して貰いたくて、こんな長い時間かけたんだと理解しました。監督はマーティン・スコセッシ。
政府によって、オクラホマに強制的に移住させられた先住民族のオセージ族。しかし、その居住地から石油が出たため、彼らは一気に白人以上の富裕層となります。戦争帰りのアーネスト(レオナルド・ディカプリオ)は、その土地で資産家として暮らす叔父のヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼り、移り住みます。オセージ族の女性モリー(リリー・グラッドストーン)と恋に落ちたアーネストは、彼女と結婚。程なく不可解な殺人事件が多発して、ワシントンから派遣された特別捜査官(FBI)のホワイト(ジェシー・プレモンス)が、捜査に乗り出します。
当初はホワイトの役がレオで、犯人捜しのミステリー調の予定だったとか。それをレオが、今回のような事件の闇に重点を置いた内容に変更を申し出たんだとか。彼の人種差別に対しての、意識の高さが伺えます。因みに今回の事件の捜査を指令したのは、あのJ・エドガー・フーヴァー。映画の「J・エドガー」でレオが演じていましたね。
オセージ族の金満家ぶりがすごい。インディアンと呼ばれる人々にこんな史実があったとは知らなかったので、面食らいました。服装や生活様式も白人に寄せて、いやそれ以上です。しかし受益権と呼ばれる権利やお金の出し入れは、多くは白人に管理されていたようで、オセージ族の純血である人、そうでない人では、受けとる金額に違いもありました。
既に数十人オセージ族が殺されているのに、警察は捜査しない。多くはお金目当てでオセージ族と結婚した白人の夫が、妻たちを殺しているのです。しかし、危機感は募らせるものの、次々と白人と結婚していくオセージの女性たち。
これ、男女逆なら解り易い。権力のある男性が、金に物を言わせて女性は選り取り見取り。その逆バージョンと思えばいいのでしょう。同じ境遇の女性たちが、次々死んでいくのに、どうして?そこには愛があるからというより、お金が今までインディアンだと差別されていた女性たちを解放、それが高じて傲慢にしたのじゃないかしら?お金って怖い。
牧場経営のヘイルは、オセージの人々にとても友好的。集会などにも顔を出し、文化や教養の面で、オセージの人々の後押しもする。レオはヘイルの差し金であっても、本当に妻であるモリーを愛している。二人からは表面的な親睦とは、感じません。悪意と親睦・愛情は、共存出来るはずがないのに。あまりにまったり展開するので、ブラックコメディを見せられている気分でした。
そこに終盤に出て来た白人のセリフ。「インディアンの命は犬の命より軽い」。あぁー。この言葉で、全て腑に落ちました。オセージの人々は、白人から人間扱いされていないのです。愛玩されるペットのようで、その実ペット以下の扱い。命も勝手に出来ると思われている。良心の呵責に苛まれる様子もなく、これが当時の白人としての「正しさ」なのでしょう。
この言葉で思い出したのが、「ハーツ&マインド」に出てきた、「黄色人種の命は、白人の命より軽い」です。人種の坩堝のアメリカで、脈々と受け継がれる差別。「人間ではない」。ヘイトスピーチや暴力を受ける、それよりもっと恐ろしいと思いませんか?「福田村事件」で描かれた貧しさから来る差別とは、根本が違うと感じました。
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10月23日(月)
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