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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「リンダ・ロンシュタット サウンド・オブ・マイ・ヴォイス」

すごく良かった!素晴らしい!私がローティーンの頃から大好きなリンダ・ロンシュタットの半生を描くドキュメント。偉大な歌姫の人生を描くことで、音楽業界の成り立ち、ロックアーティストの光と影、移民問題、恋愛と家族、そして歌への情熱。これらが全て、くっきり浮かび上がっています。リンダのファンであることが、誇らしくなる作品。監督はロブ・エブスタイン。ナレーションはリンダ自身です。
先ず私がリンダのファンになった切欠の曲がこれ。
「またひとりぼっち (lose again)」
当時私は中学生。関西のUHF局の近畿放送で、「ポップス・イン・ピクチャー」(通称「ピップ」)と言う番組があってね、当時人気DJだった川村龍一(当時は川村尚名義)が司会で、豊富な洋楽の情報とPVを流していました。今みたいにネット等ない時代です。毎週とても楽しみにしてました。その時流れていたのが、このPV。観ていて何故か涙が止まらない。まだ子供の私にも、恋人と別れて孤独に向き合う女心が、切々と歌い上げるリンダの熱唱から伝わってきたのでしょう。その直後、当時これも愛読していた「ミュージック・ライフ」で、グラミー賞受賞記念的に、リンダの特集が組まれていて、彼女の生きざまにとても感銘を受けました。思春期に出合うのは、本当に運命的です。そして即行買ったアルバムがこれ。グラミーを受賞した「風にさらわれた恋」です。

リンダの曽祖父はドイツ人。メキシコに移住して結婚。時が流れリンダの父はアメリカ人の母と結婚。メキシコ国境沿いのアリゾナで育ったリンダは、アメリカ人です。父は自営業ではあったものの、メキシコの曲で歌手活動をしており、ラジオから母の好きなポップスが流れ、クラシックも大量に聞かされたそう。このごった煮のような音楽の洪水で育った事が、リンダの歌手としての礎になったのだと思います。
豊富な当時のリンダやその関係者の映像や歌が流れるのに並行して、現在の様子もインタビュー形式で映されます。これがお宝もの。私はイーグルスで一番好きだったドン・ヘンリーが出てきて、すごく嬉しかった(イーグルスで好きな曲は、全部ヘンリーがリードヴォーカルだった)。映像のみだったグレン・フライも、存命だったら出ていたはずだと、少し感傷的になりました。盟友だったボニー・レイット、エミルー・ハリス、そしてドリー・パートン。男性ではジャクソン・ブラウンに恋人でもあったJ・D・サウザー。皆が皆、良い年の取り方をしてたのが、本当に嬉しい。「あなたとリンダはお似合いだったのに、何故別れたんですか?」と聞かれたサウザーが、苦笑しながら「知らないよ。リンダに聞いてくれ」と返事。振られたんだね(笑)。
リンダはカバー曲がとても多く、自分で曲は書いていません。ドリー・パートンは「他人が歌った曲であっても、理解を深めて深めて、自分の曲として表現することは出来る」と言い切ります。ドリーの若き日の映像の曲は、彼女が作り歌った「ジョリーン」でした。この曲はオリビア・ニュートン・ジョンも歌って大ヒットしたので、敢えてこの曲を選んだのだと思います。
私の大好きな「またひとりぼっち」は、カーラ・ボノフの曲です。リンダが取り上げた縁で、世に出たカーラも歌っていて、「この曲はリンダの圧勝よ」と微笑みます。でもこれは謙遜。リンダと対照的に素朴に歌い上げるカーラも、当時好評でした。要は歌い手が曲をどう理解し、表現するか?聞く大衆はどちらを好むか?なのでしょう。俳優は演技力と共に、存在感が重要視されるように、歌手もまた、歌唱力と共に、表現力が大切なのだと、今更ながら痛感しました。いみじくもリンダ自身、「私より歌が上手い人はいっぱいいる」と語るのは、でも表現力では誰にも負けないと言う自負からなのですね。
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05月08日(日)
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