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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「プロミシング・ヤング・ウーマン」

コロナ禍のせいで、思うように映画が観られなくなり二年近く。絶対観たい!と言う作品が稀になってきた昨今、この作品は「絶対」観たい作品でした。先行上映があると知り、馳せ参じました。レイプの復讐物に有りがちな設定から梯子を外しています。ポップでスイート、ロマンチックで毒々しく、そしてどうしようもなく哀しい。監督は女優でもあるエメラルド・フェネル。初監督が信じられない。脚本も監督。私的に傑作です。
親友ニーナと同じく、医大に進学したキャシー(キャリー・マリガン)。しかし、ニーナは同級生たちにレイプされ、訴えも退けられた事に絶望し、自殺。怒りに燃えたキャシーは医大を退学。昼はさえないカフェに勤めながら、夜な夜な酔ったふりをしては、言い寄る男たちを騙し討ちにして、鉄槌を下していました。しかし、医大時代の同級生ライアン(ボー・バーナム)と再会。自分に好意を寄せるライアンに、キャシーの心は揺れ動きます。
酔ったふりをして、自分をお持ち帰りする男たちに、暴力を振るう、または説教だけして、相手から自尊心を奪い取るキャシー。しかし朝帰りの彼女を、卑猥な言葉で囃し立てる見ず知らずの男たちの不躾さを描いているのは、これはキャシーが若い女性だから。男性なら見知らぬ人から、理由もなく心ない言葉で傷つけられる事はないでしょう。それも性的な。彼女の心は一向に晴れない事を表しているのでしょう。
私は「アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ」みたいに、夜な夜な男を誘っては、半殺しみたいにするのかと思っていたので(「アイスピック〜」は、レイプした男を皆殺しにした。それはそれで爽快)少し肩透かしでしたが、よく考えれば、大の男相手に、か弱い女性がそんな事出来ません。
これはキャシーの男性への復讐ではなく、自傷行為なのでしょう。真面目で明朗な、でも野暮ったい女学生であったろう、キャシーとニーナ。カースト上位の花形の学生たち(女性とも含む)には、悪ふざけのショーの生贄として、パーティーに二人とも呼ばれたのでしょう。キャシーは行けず、一人で参加したニーナは、酒を飲まされ泥酔させられ、意識のない間にレイプされます。これって、日本でも某有名大学で会った事です。やはりほんの数年前。
あの時自分が一緒にいれば、あれはニーナではなく、私だったかも知れない。姉妹のような幼馴染を亡くしたと言うだけではなく、そう解釈すると、キャシーが暗闇の底でのたうち回る気持ちが、理解出来るのです。
何とか昔の娘に戻って欲しい両親。しかし、大らかに見守る父に対して、母は「友達に今のあなたを話せない」と言う。「元の明るい娘」に戻って欲しい父と、「元の人に自慢できる優秀な娘」に戻って欲しい母。キャシーは母親のために生きているのじゃありません。もうどんどんキャシーの気持ちが解る。
そんな時偶然に勤め先のカフェに現れたライアン。学生時代からのキャシーへの好意を隠しません。ライアンの誠実さに徐々に心がほぐれ、行きつ戻りつしながら、恋人関係に進む二人。私は成人した子供が、人生で行き詰まり絶望した時、哀しいけれど親は役には立てないと思っています。親が支えられるのは、ティーンエイジャーまで。立ち直るのには、親ではない誰か、愛する人の存在が必要だと思っています。なので、この成り行きにも納得でした。
それと並行して描かれていたのが、レイプ事件の当事者ではなく、関係者。学長と思しき女性はニーナの名前すら忘れており、「当時はそんな事件が毎週のように起き、相手の男子学生は優秀で、こんな事で将来を奪われてはならない」と、信じられない言葉を吐き、絶句。毎週女生徒がレイプされているのに、何のお咎めもなしですか?将来はハイソ確実の医者になる男性だからと、私には聞こえる。この言葉、ドラマの「一つ屋根の下」で、次女小梅がレイプされ、示談に来た弁護士が「将来ある若い男性の未来が閉ざされることがあってはならない」云々言っていたのは、約30年も前の話。その時も怒りに震えたので、良く覚えているのです。
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07月17日(土)
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