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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「家族を想うとき」

ケン・ローチが引退を撤回して監督した作品です。素晴らしかった。厳し過ぎる境涯に身を置くある家族を、あらん限りの力で見つめ見守っています。その眼差しは真摯で厳しく、でも寄り添うように暖かい。素晴らしい作品でした。
イギリスのニューキャッスルに住むリッキー(クリス・ヒッチェン)。介護職員の妻アビー(デビー・ハニーウッド)、高校生の息子セブ(リス・ストーン)、小学生の娘ライザ・ジェーン(ケイティ・プロクター)の四人暮らしです。マイホームを手に入れるため、少しでも収入を多くと、フランチャイズの宅配便ドライバーになります。そのため、妻が通勤で使う車は手放し、それを頭金にしてトラックを購入します。しかし夫婦とも以前より格段に長い労働となり、家庭には不協和音が響き始め、ついにはセブが事件を起こしてしまいます。
まるで今の日本を見ているようです。フランチャイズ制は、日本ではコンビニがブラックだと取りざたされていますが、他にも様々な業種があり、どれもが途中解約は違約金が発生し、ロイヤリティーを払うと、勤務時間に対しての実入りは、それほどないと聞きます。個人事業主と持ち上げられての契約だったのに、遅延や急な休みで、当初順調だったビリーの仕事は、罰金で借金が膨らむ羽目に。
介護士のアビーは、朝の八時半から夜の九時まで、シフトを組んで5軒の利用者を移動しています。これをバスで移動するなんて、自殺行為のようなもの。リッキーは自分が仕事で長時間で休めない勤務は当たり前だが、アビーにはもっと早く仕事を切り上げろとか、バスで移動しろとか平然と言ってのける。パートだからと、妻の仕事は軽く見ているのです。これは残念ながら、夫にはありがちな事です。移動には時給は発生しないセリフも含めて、監督は本当にしっかりリサーチしています。家庭が崩壊していくまでの描写が、本当に丁寧でリアルな事に感心しました。
セブがぐれていくのは、両親を見て自分の将来に希望が持てないからです。日本でも言われる貧困の連鎖。反抗する息子に手を焼くリッキー。ついには手を挙げてしまいます。しかしこれには痛恨の事情がありました。少し前の感覚なら、父親に殴られても当然のセブ。しかし巧みな脚本は、体罰はしてはいけないと、観客に素直に思わせます。この繊細さにも唸りました。
その事情に関しての娘の告白は元の楽しい家庭に戻したかった切望が、させたことです。慟哭する両親。リッキーもアビーも、子供たちの為に働いています。しかしその仕事が、子供たちの心を蝕んでいく。そして何も悪い事をしていないのに、借金が膨らんでいく様子に、震撼しました。だってこれは、うちの家族だったかも知れないから。
イギリスの労働者階級の話が、どこをどう切り取っても、今の日本、私の周囲と被さるのです。自分の身の丈より少し上を目指し、頑張った。それがいけないと言われたら、どう生きていけばいいのでしょう。
更なる災難がこの家族に降りかかります。死に体のような現状に、追い打ちをかけるリッキーの上司。ここで心優しく大人しかったアビーが、上司に罵声を浴びせます。自分は人のお世話をする介護士なのにと、恥じ入る彼女を見るのが辛い。親を慮って、隣にいるので、いつでも起こしてと、父を気遣う息子。
ラストは見る人によって、感じ方は正反対だろうと思います。私は絶望ではなく希望だと思いました。リッキーのの行動は常軌を逸していていますが、それは家族を養わなくてはいけないという責任感からです。働く事でしか、家族への愛を表現出来ないリッキー。家族はこれから心を一つにして、難関に立ち向かうはずです。妻の怒り、息子の思いやりを先に描いたのは、そのためだと思いました。
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12月28日(土)
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