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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「グリーンブック」


本年度アカデミー作品賞・助演男優賞・脚本賞受賞作。黒人のボス、白人の付き人と言う、1960年代では珍しい雇用関係の二人の、ユーモラスで温かなロードムービー。陽気でライトな語り口で黒人差別を問う秀作なのに、何やらスパイク・リーが、白人目線の作品だと批判しているんだとか。はて?どこだろう?と思いましたが、リーの批判が呼び水になり、私なりに当初より深く想起することが出来ました。監督はピーター・ファレリー。

1962年のアメリカ。一流クラブで用心棒として働くトニー(ヴィゴ・モーテンセン)。しかしクラブの改装で、数ヶ月間無職の憂き目に。そこへ友人が持ってきた話しが、ドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)と言う、有名黒人ピアニストの付き人です。面接でトニーを気に入ったシャーリーは、二ヶ月間の演奏旅行に、トニーを雇います。行き先は黒人差別の強いアメリカ南部。当初こそ黒人への偏見が強かく、この仕事に乗り気ではなかったトニーですが、この旅は、彼の視野を広げる旅となりました。

脚本のニック・バレロンガは、トニーの息子です。それを事前に知っていたので、数々のユーモア溢れる心温まるエピソードが、素直に胸に入ってくる。そして辛い場面お堅い場面も色々あるのに、とにかく陽気!この明るさは、トニーがイタリア系であるのが起因しているのでしょう。

幼少からピアノの才能を見出され、少年期にはロシアにピアノ留学。教養豊かで静かな物腰は、品がなく無教養で騒々しいトニーとは対照的。その二人が、長い旅の道中、お互いを尊重し理解し合えるようになります。そのキーワードが、「黒人差別」でした。

トニーは、ピアニストとしての実力や、言われなき差別に対して、声を荒げる事もなく屈服せず、毅然とした態度で相対するシャーリーに,素直に敬服します。シャーリーもまた、大らかで楽天的なトニーの性格を愛し、立ち振る舞いの品のなさと、人としての人格は別物だと学びます。特にシャーリーがトニーに引きつけられたのは、家族仲の良さじゃないでしょうか。

バレロンガと言う名前は口にし難いので、トニー・バレと人前で名乗れば?とシャーリーが提案すると、トニーは即座に却下。俺の名前はバレロンガだと譲りません。トニーはイタリヤ系移民。バレという名前では、イタリヤ系であることが、同じ白人であるためアメリカでは埋没してしまうからでしょう。トニーのイタリア人としての誇りが、バレを名乗らせないのです。例えイタリヤ系は差別されてもです。シャーリーは肌の色で差別されているので、その事には気が付かない。

天才ピアニストとして、富も名声も豊かなシャーリーは、黒人世界では異端です。仕立ての良いスーツを着こなすシャーリーを、農夫の黒人たちが忌々しそうな目で見つめる姿が辛い。黒人社会では「名誉白人」のように見えるシャーリーも、実は白人ハイソたちの偽善の生贄で、トイレも使わせて貰えず、楽屋は物置。レストランにも入れない。誰にも言えない秘密も抱え、シャーリーは孤独です。

何故シャーリーは差別に真正面から戦うのか?そこが彼の居場所だったからじゃないのか?誰もが羨む天賦の才能を得た彼は、そのせいで、数々の親愛を奪われる。一番好きなクラシックを捨てて、ポピュラーミュージックで同胞のため戦うのは、黒人である事が、シャーリーの一番大切な誇りであるからだと思います。トニーは道中、そこに気付いたのじゃないかなぁ。自分と同じなのだと。

私は日本生まれ日本育ちの100%純血種の在日韓国人。普段と言うか、ほとんどが日本名の通名を使っています。トニーと同じく、韓国名を名乗らないと、日本人と思われます。何故名乗らないのかと言うと、韓国人を隠したいわけではなく、物心付いた時から、名前は日本名しか使っていなかったから。当時も今も、自分の韓国名と向き合うのは、住民票と特別永住者証明書と戸籍だけ。親世代は日本の統治時代に創氏改名で韓国名を奪われており、戦後日本で暮らす事を選択した在日は、そのまま通名で暮らすようになり、その子孫も今に至ると言う訳です。要するに、本名を使い慣れておらず、通名に愛着がある人が多いと思います。


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03月09日(土)
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