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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「僕の名前はズッキーニ」(吹き替え版)

手作り感いっぱいの、フランスのクレイアニメ。私は子供に弱いので、子供が主役だけで高評価してしまい勝ちですが、それを差っ引いても、傑作だと思います。
ある不運な事故が元で、アルコール依存のママを亡くしたイカール。パパは以前に女の人と出て行ってしまい、一人ぼっちに。事故を担当した警官のレイモンに、イカールは「僕はズッキーニ。ママがずっとそう呼んだから」と、ズッキーニと言う名前に拘ります。レイモンに同じ境遇の子供たちが集まるフォンテーヌ孤児院に連れられます。当初はボスのシモンに意地悪されるものの、複雑な事情を抱えた者同士、子供たちは打ち解けて行きます。そんな頃、カミーユと言う少女が園に連れてこられ、ズッキーニは彼女に初恋します。
画像は子供たちのキャラ。可愛いけど、不安げな様子が哀しい。これは不安定な彼らの心情を表しているのでしょう。子供たちの背景は、不法移民で子供だけ残された、親が麻薬中毒や精神疾患を持っている、性的虐待など、共に悲惨な背景。冒頭のズッキーニの母の死の件は、本当に衝撃でした。9歳の子に、こんな大きな荷物を背負わせるなんて。父親が不実な母親を殺した、カミーユもです。
しかし、暗いお話なのかと言うと、さにあらず。孤児院の一般的な印象は、愛情に飢えた子供たちが連想され、良いものではないはずです。でもフォンテーヌ園は違う。厳格ですが温かい園長の下、若い男女の先生2人が、子供たちを心から慈しんでいる。スキー合宿で、ダンスパーティーもあるんだぞ。自分たちは、親に捨てられた子と、自尊心が育たない彼らの元に現れた救世主カミーユ。「魔女のような」叔母と暮らすくらいなら、ここでみんなと暮らしたいと言う。子供たちはカミーユのお陰で、自分の境涯を受け入れ、自身を見つめ直し、確かな友情を育んでいきます。
幼い恋心が描かれたり、「子供って、どうして出来るか知っているか?」と、ワイワイ話す様子など、流石はフランス、早熟だわと思いましたが、それは違うなと感じてきます。愛情に乏しい幼い人生を送ってきた彼らは、自分たちが、何故生まれたのか?その意味を知りたいのだと感じました。
度々ズッキーニに面会に来るレイモン。「仕事だから来るんでしょ?いつか来なくなるんでしょう?」と、切なげに聞くズッキーニに、「そんな事はないよ」と言う。何故なのかは、彼の家を見てわかりました。亡くなった息子の写真が飾られており、その子は、どことなくズッキーニに似ています。「親を捨てていく子供もいるんだよ」と、淡々と語るレイモンですが、先立つ子を持つ親は、このように感じるのだと、涙が止まらなくなりました。
シモンの機転で、無事皆が揃ったのも束の間、子供たちは二手に分かれる事になります。寂しさを隠さない友達に、身の置き所がないズッキーニ。でもシモンの後押しで、決心します。ここも泣いたなぁ。この出来事は、孤児院では宿命みたいなものではないかしら?幸運を喜んでこそ真の友情なんだと、この子たちに教えられます。
この孤児院は私が観る限り、良き保護者たる人たちがいて、子供たちをしっかり導いてくれる、信頼に値する施設です。多くの親に恵まれない子に、悲観するなかれ、ここで居場所も誇りも見つけなさいと、語りかけている気がしました。その役割をカミーユに投影し、子供たちの変化を描いていたのでしょう。子供だけではなく、世の大人は全て、子供たちに信頼される人にならなきゃと、それも心に刻みます。
私が嬉しかったのは、若い男女の先生たちの間に、赤ちゃんが生まれたこと。その生育を子供たちが見るのは、自分たちは、生まれた時は愛情のある両親から生まれたのだと、自分自身を肯定出来るはず。先生たちに受けた愛情を、赤ちゃんに是非注いでね。愛情の循環は、必ず皆に幸せをもたらすはずです。
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02月21日(水)
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