ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[927404hit]
■「ライオン 25年目のただいま」

四月に入って、この作品と「ムーンライト」「クーリンチェ少年殺人事件」と、手応えのある作品を観ていますが、プライベートが超多忙で、なかなか書く時間がありません。なかでもとても気に入ったのが、この作品。実母・養母の描き方に、子供の養育に何が大切なのか?ひしひしと感じる事が多く、子育ては卒業した私ですが、この思いを是非子育てに悩んでいる方々に、お伝えしたいと思います。監督はガース・デイヴィス。
オーストラリアで、善良なスー(ニコール・キッドマン)とジョン(デヴィッド・ウェンハム)夫妻の養子として育てられたサルー(デフ・パデル)。彼はインド人で、5歳の時、兄とはぐれてしまい、一人都会のコルタカで迷子として彷徨っているところを助けられ、現在に至ります。インド人の学友宅でのホームパーティーで、思い出のクッキーを見つけた彼に、抑えていたインドで暮らしていた頃の記憶が蘇ります。友人たちは、グーグルアースで、故郷を探しては?と、サルーに勧めるのですが・・・。
予告編では、もっと親探しに時間を割いているのかと想像しましたが、冒頭から半分は、丹念にサルーが迷子になるまでを描いていて、これが良かった。30年前と言うのを差っぴいても、サルーを含む子供たちの劣悪な環境に、本当に胸が痛い。しかしサルー兄弟が不幸そうかと言うと、そうではないです。暖かい母の愛情をいっぱい受けて育ち、自尊心が守られています。生まれてきて良かったと。だから自然に、母や兄の手助けをしたいと、下の子たちも思うのでしょう。人間の基本は、本当に自尊心だと思います。
つくづく貧しさだけでは、子供の心は荒まないんだなと思いました。問題は大人になってから。それが近づく兄には、将来が見えています。「いつか揚げ菓子をお店ごと買おう!」と、屈託なく笑うサル−に、顔を曇らしながら笑顔を向ける兄が切ない。観ている私も辛い。
大都会のカルタカで、誰も5歳の迷子に手を差し伸べないのには、びっくり。日本なら例え30年前でも、これはないなぁ。その他、ストリートチルドレン、性的目的の子供の人身売買など、目を覆う描写の連続です。人攫いに警官が一枚噛んでいる様子を描写しているのは、観客への啓発だと思いました。
やっとやっと「良い大人」に巡り会うサルー。劣悪な孤児院から、優しいスーとジョン夫婦に引き取られるまでを見て、つくづく感心したのは、サルーの賢さと危機を察知する能力の高さです。そして明るさを失わなかった事。綱渡りの連続ですが、この幸運は、サルーが手繰り寄せたものだと思います。
後半はいよいよ、サルーの故郷を探す長い道程が描かれると思いきや、養子とその親の物語にシフトしていきます。痛感したのは、例え里親であっても、父と母では、母親は特別な存在だと言うこと。サルーが自分たち夫婦に馴染んでくれたのが嬉しかったのでしょう、ジョン夫婦は、サルーに兄をと、インドからマントッシュを養子に貰い受けます。しかし、マントッシュは素直で聡明なサルーとは違い、繊細さが高じて、手のかかる面倒な子でした。
分け隔てなく接する夫婦ですが、関係性が構築できない子育て。一人陰で涙するスーを見て、サルーは母の涙を指でぬぐいます。あ〜、母と息子だよ。サルーに笑顔を向けて、「大丈夫」を繰り返すスーに、私は号泣。昔の自分を思い出したからです。母親には、これ以上の慰めはないでしょう。余談ですが、当日はしごした「ムーンライト」でも同じ場面が出てきて、そこでも号泣しちゃった。
母に面倒をかける兄を、常に敵対視するサルー。もちろん父にも感謝しているでしょうが、母が特別であるのは、明らかでした。それはマントッシュも同じ。スーが「私は幸せな母親だ」と言うのは、強がりではない。子育ては喜びだけではなく、悩みも辛さも背中合わせ。両方味わってこその、母親の醍醐味です。でも子供の数だけ喜びがあり、子供の数で辛さは半減されます。スーは、全部ひっくるめて、私は幸せだと言ったのでしょう。スーは立派な母親です。
[5]続きを読む
04月19日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る