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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「湯を沸かすほどの熱い愛」


このダサいタイトル、何とかならないのかしら?この素晴らしい作品が台無しな気がするのは、私だけ?あの綺麗な綺麗な宮沢りえが演じる肝っ玉母さんが、溢れる母性を周囲の人々に惜しみなく与える姿に、何度も泣かされました。秀作にして力作です。監督は中野量太。

先頭を経営する双葉(宮沢りえ)ですが、一年前夫の一浩(オダギリジョー)が失踪してから、休業して高校生の一人娘の安曇(杉咲花)と二人暮らし。双葉の頑張りも限界に来ていた頃、彼女に癌が発覚。余命いくばくもないと診断されます。お先真っ暗な中、泣いている暇のない双葉は、まず一浩を探す事から始めます。

と、ここまでは、ほんの序章。私は死期の近いシングルマザーが、一人娘へ限りない愛を捧げる作品とだけ思って臨みましたが、それは幹にしっかり描かれますが、他にも学校でのいじめ、ネグレクト、母親や夫婦の有り方にも言及しており、それが全てきちんと整理できて、アンサーされています。散りばめた伏線も全て回収していて、本当に感心しました。

陰湿ないじめに泣き寝入りする安曇は、一人奮闘する「お母ちゃん」を思い、本当の事を話せなかったと思います。不登校になりそうな娘を、ここで負けたら、ずっと負け続けると、娘の布団を引っぺがし、猛烈な勢いで叱咤して学校に行かせる双葉。彼女は正しい。物凄く。しかしその時私の胸に去来したのは、今の私はもうこれは出来ないな、でした。

母親には愛情だけではなく、子供を成人させるまでの責任感が必要です。この二つは必須科目。ついでに言うと、バランスも大事。私も現役バリバリのお母ちゃんの頃は、双葉のように猛々しい部分がありました。しかし今この風景が目の前に現れたら、私は双葉のようには出来ない。しばらく休みなさいと、きっと言うでしょう。人には公的・私的に、様々な側面があります。私の中で一番大切にしていた母親の側面が、今は小さくなっているんだと、すごく実感しました。その事について、安堵と共に、一抹の寂しさも感じます。

猛々しく子供を追い立て、心配だからと、家の前で娘の帰りを待つ双葉。あぁ何ていいお母さんだと、その姿にまた泣けてきます。

双葉の告白に、すぐ家に戻る一浩。しかし、数年前の浮気が元で出来た娘鮎子(伊東蒼)も連れています。鮎子は、母に捨てられていました。9歳の鮎子も温かく迎える双葉。プチ家出の後、誕生日を祝ってもらう宴で、「出来ればこの家に居たいです。でもママも待っていていいですか?」と、泣きながら言うのです。思い出して、書きながら又泣いてます。それぐらい、私には切ない切ないセリフでした。鮎子は、本当は一浩の子供ではないと、知っているのでしょう。自分の母と双葉では、母の素質としてどちらが上か、子供心にわかっているはず。それでも言わずにはいられない。そこには、良し悪しではない、子供にとっての母親と言う存在の大きさと、この家庭への信頼を表した、見事なセリフだと思います。

この作品では、双葉の他、色んなお母さんが出てきます。一人は育児の辛さから、一度は子供を捨てながら、遠くから子供の幸せを願い、再婚もせず一人ひっそり暮らす母。もう一人は、迎えに来ると約束しながら、再婚後、新しい家庭を築き、夫と子や孫に囲まれ暮らす母。正し過ぎて、一種ファンタジーのような双葉に対して、現実にいる人たちです。後者のお母さんに言いたい。
子供が訪ねてきたら、怖くても、家族に隠れてでいいから、是非会って欲しいのです。どうして会えなかったかも教えてあげて欲しい。それは子供に赦しを乞い、自分も赦す瞬間だと思うから。捨てた子供を、母親が忘れ切れるとは、私には思えません。


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11月12日(土)
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