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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ロブスター」
突然ですが、「籠の中の乙女」と言うギリシャの作品をご存知でしょうか?世に特異な作家性を持つ監督はたくさんいますが、この作品を監督したヨルゴス・ランティモス監督も相当なもんです。「籠の中の乙女」も、一応自分なりに咀嚼はしましたが、それより何より珍妙でブラックな描写のオンパレードで、それに目を奪われっぱなしでした。人に寄れば、くだらない又は嫌悪するシーンばっかりなんですが、何故か私はツボにはまってしまい、何度も爆笑(少ない劇場内、そんな人は私だけだった)。そんな酒の肴の珍味みたいな監督が、こんな豪華キャストで作っちゃうなんて、あな恐ろしや。今回も大変楽しめました。今回ちょいネタバレ気味です。

独身者は罪の世界。パートナーがいないと、収容所のようなホテルに放り込まれ、45日以内にパートナーを見つけないと、動物に変えられてしまうのです。デヴィッド(コリン・ファレル)も妻に一方的に去られてしまい、このホテルに連れてこられます。ホテルには足の悪い男(ベン・ウィショー)、滑舌の悪い男(ジョン・C・ライリー)などがおり、皆日数内に相手を探さなくてはと、戦々恐々。デヴィッドも消去法で感情のない女(アンゲリキ・バブーリァ)とパートナーになりますが、とあることが原因で、ホテルを「脱獄」し、独身者ばかりが潜む森に逃げ込みます。そこはリーダーの女(レア・セドゥ)が取り仕切っており、恋愛禁止のルールがありました。しかし皮肉な事に、デヴィッドは近視の女(レイチェル・ワイズ)と恋仲になってしまいます。

最初ホテルで、「あなたの性的嗜好は?」と聞かれて、女性と答えるデヴィッド。しかし「いや一度だけ男性ともある」「どちらにしますか?」と聞かれ、少しの間合いの後、「女性」と答える。もうこのシーンだけで、観に来て良かったと思いました(笑)。この間合いが絶妙でね、ベテランの芸人のようです。昨日テレビで三男と吉本新喜劇を観ていて、絶妙な掛け合いと間合いに、爆笑しっぱしでしたが、二人で「やっぱり笑いは”間”やな」と、語り合ったもんですが、この作品もそれにぴったり当てはまる。どんなにブラックで悪趣味全開のシーンの羅列でも、私が笑えるのは、この間合いが私と波長が合うのでしょう。昨日新喜劇を観て、私がこの監督が好きな理由がわかりました。

ホテルでは独身は背徳、森のグループでは恋愛は憎悪対象。どちらにしても強制的に管理されている。結局同じなのですね。独身にしろ恋愛にしろ、本来は自由であるべき。管理なんかするもんじゃない。これが社会制度なんて、本当に恐ろしいわ。

その証拠に、ホテルの支配人夫婦は、レアたち「レジスタンス」にパートナーとしての欺瞞を暴かれます。要するに動物になりたくないだけなんですね。その他気になったのは、このホテルに入っている人は、何かしら欠点がある人ばかり。そして非モテ系。だからなのか、同じような欠点を持つ人ばかり探す。この視野狭窄的思考は如何なものか?その中でデヴィッドは、自分に好意を寄せてくれる女性もいるのに、多分容姿的な意味から、一番危ないだろう、感情のない女性を自分も同様であると装って、選びます。これも危険です。結果残酷な破綻。このホテルから、恋愛に対しての客観的な推考が出来る仕組みになっています。

対する森のグループのレアも、ほぼ感情のない女と同じ冷血漢。悪意にも満ちていて、多分性格破綻者である感情のない女より、レアの方が罪深い。愛情の対岸は無関心で、憎悪ではない。だから、思想ではないのです。憎悪すると言う事は、彼女はかつて恋愛で痛い目にあったか、何か個人的な理由があるはず。極端な思考に走るリーダーの、個人的な思考に付きあうのは、一旦立ち止まった方がいいかもです。世に蔓延るカルトな組織に、救いを求めて群がる人々に警鐘を鳴らしているようです(深読み)。


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04月03日(日)
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