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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ブリッジ・オブ・スパイ」
「スペクター」の感想で、「スパイ映画は、国家を描けば歴史がわかり、人を描けば厚い人間ドラマが作れます。」と書いた箇所を、長年の映画友達のヤマさんに褒めて頂き嬉しかったです。その両方を兼ね備えた作品です。純粋な中学生の時、シドニー・ルメットの「十二人の怒れる男」を観て、これが正義と言うものなのかと、震えるほど感動した心が蘇りました。実話が元の、大変立派な作品です。監督はスティーブン・スピルバーグ。脚本はコーエン兄弟。
米ソ冷戦真っ只中の1957年のニューヨーク。ソ連のスパイとして、ルドルフ・アベル(マーク・ライランズ)が逮捕され、国選弁護人として、ジェームズ・ドノヴァン(トム・ハンクス)が選ばれます。国の敵を弁護するドノヴァンにも非難の目が向けられるも、怯む事なく仕事を進めるドノヴァン。死刑必至のところを、ドノヴァンの尽力で禁固30年で結審。その5年後、アメリカ軍パイロットのパワーズ(オースティン・ストウェル)がソ連上空を偵察飛行していたとしてソ連が拘束。パワーズを釈放して欲しいアメリカ政府は、アベルと交換する計画を立て、その交渉人に、民間人であるドノヴァンを指名します。
あらすじを書いているだけで、アメリカ政府の余りの無茶苦茶ぶりに、思い出して、また腹が立ってきました。裁判は完全にアベルの有罪が決まった出来レース。しかし対外的にアメリカは民主主義の国家だとアピールするため、弁護士を立てただけです。ドノヴァンは完全に噛ませ犬、捨て石です。それを解った上で、精力的にアベルの弁護活動をするドノヴァン。弁護士のプライドと正義感からだと、胸を打たれました。
アベルは映画に出てくるような、颯爽としたハンサムなスパイではなく、極々普通の初老男性。街に居ても、埋没して溶けてしまいそうな、存在感のない男性でした。確かにそうでないと、長年の活動は出来ないだろうと思います。それを端的に表した、駅で刑事とすれ違う描写が秀逸。
拘束されたパワーズも普通の軍人であったのを、優秀であったため、CIAが偵察要員にスカウト。有無を言わさず、誰にも話すな、この作戦は隠密だ、失敗すれば死ね。CIAの無茶ぶりはドノヴァンにも及び、人質交換は民間レベルの事である、国は関与せずで、失敗すればドノヴァンの責任、命の保証もないと言い放ちます。それでも人命救助のため、突き進むドノヴァン。国が個人の「善意」を利用し、手柄は自分が取ると言う欺瞞。
アベルとドノヴァンの交換の他、東ドイツでアメリカ人留学生プレイヤー(ウィル・ロジャース)が拘束され、その交換も絡んできます。プレイヤーは見捨てろと言う政府。パワーズの方が優先なのは、彼が国の機密を知っているからです。そうはしないドノヴァン。一人の人質で、ソ連と東ドイツに分かれた二人の人質を、どうやって交換するのか?この辺はものすごくスリリングです。ドノヴァンの知恵と度胸の交渉術を、是非ご覧あれ。
拷問シーンは、ソ連がパワーズに対して行ったものだけを描写。これは現在解体した国である事で、表現し易かったのでしょう。しかし敢て描写した事に、アメリカや東ドイツでも合った事なのだと、暗示していると私は取りました。
アベルからの情報を聞き出そうとするCIAのホフマン(スコット・シェパード)に、守秘義務を理由に断るドノヴァン。「規則などどうでも良い」と言い放つホフマンに「自分はアイルランド系。あなたはドイツ系。それがアメリカ人として成り立っているのは、この国のルールを守っているからだ。規則外などない」と敢然と席を立つ姿は、人種の坩堝であり、不穏で混沌とした今のアメリカに対して、作り手の心意気が込められていたのだと思います。
このスピルバーグ作品のどこに、コーエン兄弟の影響があるのか、私にはわかりません。私がわかるのは、偉大な映像作家三人は、この作品において親和性があり、アメリカ人として、アメリカを愛している事。一触即発だった過去から学ぶことで、平和を強く願っている事です。
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01月12日(火)
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