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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「母と暮せば」
12月、あろうことか2本目の映画です。賢島に旅行に行ったり、天童よしみ聞きに行ったり、風邪ひいたりしていたら、あっという間に年末。戦後70年と言う事で、たくさんの「戦争」を描いた作品が公開された今年、ラストはこの作品で締めくくろうと思っていました。山田洋次とは相性がイマイチだけど、原爆で亡霊となった息子が母の前に現れると言う設定は、息子三人を持つ私には、鉄板の設定。今回は大丈夫だろうと、臨んだ作品でした。私的には表と裏、監督の巧妙な仕掛けを感じて、好きじゃないけど、やっぱり山田洋次は上手くて黒いと、感嘆した作品です。
終戦から三年経ち、長崎で助産院を営んでいる伸子(吉永小百合)は、結核で夫を亡くし、戦争で長男を亡くし、そしてまた原爆で二男の浩二(二宮和也)を亡くした身の上です。今は浩二の婚約者だった町子(黒木華)を、お互い心の支えとして暮らしています。そんな日々に、ある日突然浩二が亡霊となって伸子の前に現れます。
私の大好きな「父と暮せば」にオマージュを捧げた作品です。辻万長と浅野忠信の出演は、そのためでしょう。存命なら、原田芳雄や、すまけいも出演していたかな?「父と暮せば」が舞台劇が元であったため、ニノの演技に大仰な部分があり、多少鼻につくところがあるのは、そこを意識したせいでしょう。こちらは映画オリジナルなので、映画的な空間や時空の使い方、当時を再現した美術など、どこも十二分に満足させて貰えます。
亡霊であっても息子です。「あんた、浩二?浩ちゃん?」と言う、浩二登場時の伸子の華やかな笑顔が映って以降、もう何度泣いたか。息子三人の身には、この内容は反則なのです。淡々と市井の人々の戦争を乗り越える姿、生き残った苦しみ、命を奪われた人々の無念を、オーソドックスに淡々と美しく描く画面。目新しくはありません。しかし繰り返し同じ事であっても、観る人に反戦の心を刻むには、それも私は必要だと思っています。ましてや人気者のニノの出演で、若い人もたくさん観るはず。これはこれで良いと思っていましたが。
教会で伸子が倒れるシーンで、あれ?と感じる私。以降膨らむ疑念。これって耳なし芳一?牡丹燈籠?これは母と息子の話しではなく、息子は狂言回しで、本当は伸子と町子の話しなんじゃない?
亡くなった浩二を思い、一生独身で伸子に孝養を尽くすと言う町子。結婚はしていないのに。それはいけない、自分の幸せを見つけてと言う伸子。美しい話です。でもこれって、本心かな?町子は軍需工場を腹痛のため休んだ当日が、原爆投下の日でした。一人だけ難を逃れ生き残った事に罪悪感を感じていると、後に吐露。亡くなった友人の母に詰られた事がトラウマとなっている。
あんなに母と娘のように支え合っていた伸子が、「なんで町子だけ幸せになるの?あの子が死ねば良かったのに」と亡霊の息子に泣きつく時、あぁそうかぁと、私は色々腑に落ちました。これは伸子の本音なのです。ずっとずっと、自分の息子は死んだのに、何故死ぬはずだった町子は生き残ったのかと、屈託を抱えて生きていたんでしょう。それが逆恨みだと重々わかるくらい、伸子には理性も知性もあったはず。それでも湧き上がる感情に、彼女自身が一番苦しめられていたはずです。
なら何故友人の母のように突き放さなかったのか?いくら助産師と言う手に職を持っていたとて、熟年未亡人にとって、戦後のどさくさは相当に厳しかったはず。次々家族に死なれ、頼れる身内のない伸子にとって、町子の存在は大きかったでしょう。そしてまだまだ、二夫にまみえずが美徳とされた時代です。男の腕に身を委ねるなど、伸子のプライドが許さない。町子はそんな時、格好の防波堤になってくれたはず。闇商人の男性(加藤健一)の好意以上の気持ちも知りながら、伸子は生きる為巧妙に操っていた節もあります。それは根は善人であると言う事を見抜いていたから。
そして何より、浩二を懐かしむ相手として、町子以上の人はいなかったはず。
伸子にとって、町子は愛憎の対象ではなかったか?
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12月27日(日)
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