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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「国際市場で逢いましょう」

韓国映画史上、歴代2位の動員数を得た作品。朝鮮動乱後、父不在の家で、幼い頃から家長としての責任を全うした、一人の男性の人生を描いた大河ドラマです。朝鮮戦争で生き別れた親族を探す番組は、昔日本でも中国残留孤児の親探しとしてあったなぁと、驚くほど日本と酷似した状況もあり、日本でも理解しやすい心情を描いているのが、こちらでもヒットの所以だと思います。個人的に私の夫や義兄が心に浮かび、とてもしみじみした感慨に浸った作品です。監督はユン・ジェギュン。
朝鮮戦争の混乱のさなか、はぐれてしまった妹を探しに行った父と、生き別れになってしまったドクス(ファン・ジョンミン)。父方の叔母の家に身を寄せてからも、別れ際父から「お父さんのいない間は、お前が家長。家族の事をしっかり頼むぞ」との言葉を胸に、母と共に弟妹のために、一生懸命働いていました。弟の大学進学のお金のためドイツの炭鉱に、妹の結婚資金や店の権利を得る為、技師としてベトナム戦争に出稼ぎに行きます。そんな彼には、常に妻ヨンジャ(キム・ユンジン)が寄り添っていました。
老いたドクスとヨンジャが、子供や孫に囲まれて仲睦まじく暮らす様子を映しながら、ドクスの回想として、過去が描かれます。最初の父との別れの場面で、既に私は滂沱の涙。以来観ている間、涙と笑いを行ったり来たりで大忙しでした。
せっかくソウル大学に合格したと言うのに、弟は兄ばかりに負担はかけられない。兄は家族の犠牲になっていると、自分も働くと言います。確かにドクスは、家族のために次々自分の夢を握り潰して、家族のために働く事を選びます。しかし彼はそれを犠牲だとは思わなかったと、私は思います。父親の代わりであると言うのは、彼の支えだったと思うのです。傍若無人に振る舞い、わがままばかり言う妹も、ドクスと父が同化していたのでしょう。物心ついた頃から、妹にとって父はドクスだったはず。母は妹を諌めるも、彼が何でも言う事を聞いてやるのは、父を知らない妹を不憫に思っていたからだと思います。
ドクスが頑張れたのは、常に傍に母がいたからだと思います。昔の韓国や日本では、夫亡き後でも「二夫にまみえず」の心があったと思いますが、再婚を選ぶ女性もいたはずです。生死のわからぬ夫を待ち続ける母がいてこそ、彼は頑張れたのでは?結婚してからは妻、そして一生苦楽を共にした親友のダルグ(オ・ダルス)。ドクスが孤独であった事は、人生で一度もない。彼を理解し支える人が、必ず傍らにいたのですね。
夫は両親健在の家庭で育ちましたが、在日一世の親の元、赤貧洗うが如しの生活だったそうです。兄弟は兄と妹二人。義兄は中学生からアルバイトしては、姑にお金を渡していたそう。義兄を真似て夫も同じく。妹たちもそれに倣って、それは各々が結婚するまで続きます。皆親孝行だったと、生前姑は言っていました。その中で一番苦労したのは、私はやはり、両親とずっと暮らした義兄だったと思います。
私の姑は良き人で、お小遣いやプレゼントをした時も、心の籠った礼の言葉を送ってくれる人でした。ある日私がスーパーから帰宅すると、姑がにこにこして待っています。「あんな、この子(留守番していた当時小4の二男)がお茶入れて、自分の食べていたお菓子を皿に分けてくれてな、お母さんもうじき帰ってくるから、待っといてやて。あんたが私を大事にしてくれるから、孫まで大事にしてくれるねん」。横で誇らしそうに胸を張る二男。あの時は嬉しかったなぁ。
そんな姑でしたが、ただ一つ私が不満だったのは、「親孝行するのは、親のためじゃないで。自分のためやで」と度々口にする言葉でした。なんでやの、私はお義母さんに喜んで欲しいと思ってやっているのに。でも口ごたえするでもなく、自分の胸にしまっていました。その言葉を思い出したのが、夫が二度目の失業から、せっかく勤め出した仕事を半年で辞めたいと言った時です。
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06月06日(土)
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