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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ハーツ・アンド・マインズ」


私が記憶する一番最初の戦争は、ベトナム戦争でした。当時小学校低学年。アメリカの大統領はジョンソンでした。毎日のように新聞やテレビで報道されており、私が子供の頃は、アメリカは正義、アメリカは素晴らしいと刷り込まれていた時代です。劇場で「ポセイドン・アドベンチャー」に感激し、テレビで「12人の怒れる男」を観て、これがヒューマニズムと言うものなんだと解釈していたローティーンの私は、その価値観を素直に受け取っていました。その後、アメリカがベトナムを撤退=負けたと言う報道には、びっくりしたものです。だって絶対勝つと思っていたから。私のその感想は、この作品に出てくる多くの善良で無知な市井のアメリカ人と共有するものだったのだと、この作品を観て思い知りました。監督はピーター・デイヴィス。ベトナム戦争中からカメラを回し、終戦までを追ったドキュメントで、1974年アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門受賞作。

完成から40年経った作品ですが、日本では五年前に一度公開。今年はベトナム戦争終結40周年と言うことでの、公開なのでしょう。十数人に渡るマスコミ関係者、政治家や学者、そして帰還兵とその家族たちのインタビューは、映画でたくさん見知っている事の繰り返しのようで、重さが全然違う。戦争は楽しかったと言う帰還兵は、「爆竹を鳴らすと興奮するだろう?それが爆弾なんだから、興奮がどれくらいかわかるだろう?」と、悪びれず語る姿は、これが生身の人の言葉か?と、嫌悪より戦慄を感じます。

彼らにも言い分があり、高度から落とすのに、爆撃された状態がどうなのか、わからないと言うのです。知っているはずなのに、目を背けている。私がこの作品を観て一番哀しかったのは、負の認識であるはずのベトナム戦争後も、アメリカは各地の紛争に首を突っ込み侵攻している。何も学んでいないのです。

戦争は愛国心だとかプライドだとか宗教だとか、火種の理由を色々つけても、結局はお金を生み出すためのものです。他国の人が壮絶な苦しみに身を置き死んで行く中、軍需特養で儲かる国があり、領土を拡大し潤わす国があるだけ。そこに正義なんか何にもない。戦争は人から、命を希望を夢を奪うだけのものです。

「アメリカはベトナム人を野蛮だと言う。他国に戦争をしかけてくるアメリカこそ、野蛮ではないか」と言う僧侶。「田畑が焼かれ、米が出来なければ他で種を蒔く。何度でも戦う。ベトナムは負けない」。子供七人を枯葉剤で亡くした棺桶屋の主人は、カッと見開いた目で、まっすぐにカメラに向かって語っています。中国に1200年、フランスに100年の支配に抗い、またアメリカと戦っているベトナム人。その負けない気骨にも、深い畏敬の念が湧きます。

ベトナムの捕虜から帰還したある兵士は、子供たちを国のために命を捨てる「立派な兵士」になるよう啓蒙し、年配女性たちには、あなた方の子育てに国の命運はかかっているのだと、「立派な軍国の母」になるよう鼓舞する。その傍ら、「私は息子が死んで誇れるなんて気持ち、わからない」と言う母親の息子は、脱走兵になっている。そしてその脱走兵は、軍には戻るなと言う母に、逃げ回る生活より、ベトナムで何があったか、軍法会議で事実を証言すると、軍に戻って行きます。元捕虜の言い分は正しい。国の命運が母親にかかっているなら、私は脱走兵の母になりたい。みんなが脱走兵なら、戦争はすぐ終わるのだから。

フランスの元大統領は、戦いで苦戦しているとき、アメリカから原爆を二つ譲ると言われたとの言葉に唖然とし、「東洋人の命は西洋人より軽い」と言う学者の言葉に震撼し、「東洋人は汚いドブネズミ(だから殺してよい)」と言う、国内で差別されたと言うネイティブアメリカンの言葉に、差別の根源を観るのです。この思考は、多分今のアメリカでも生きているでしょう。中国も韓国も、日本とお互い嫌い合っているのが、本当にバカバカしくなる。


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05月16日(土)
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