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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ゴーン・ガール」


監督の名前でお客を呼べる数少ない監督の一人でデヴィット・フィンチャーの新作。ミステリーとしても秀逸だし、人間ドラマとしても、結婚・夫婦と言う形態に対して鋭く深く踏み込んで、とても考えさせられる作品です。

ニューヨークでフリーライターをしているニック(ベン・アフレック)は、雑誌でクイズの問題を作っているエイミー(ロザムンド・パイク)と知り合い、結婚します。しかし三年後ともに失業。ニックの母親が病に倒れたことから、彼の故郷ミズーリへ引っ越します。母は亡くなり、今は双子の妹マーゴ(キャリー・クーン)と共にバーを経営する傍ら、カレッジで文章の書き方を教えています。五回目の結婚記念日を迎えたその日、忽然とエイミーは失踪。彼女の行方は知れず、最初は同情すべき夫であったニックに不利な状況が次々露見。彼は世間から妻殺しの疑惑の目を向けられます。

30年以上前の、「疑惑の銃弾」事件を彷彿とさせます。あの頃はネットなんかなくて、連日連夜マスコミやワイドショーは、疑惑の男性及び再婚相手を追いかけましていましたっけ。ネットやSNSが日常に浸透した現代では、瞬時にニックのプライバシーは丸裸。ちょっと隙を見せれば、ネットで叩かれまくる様子は、こんな大事件でなくても、ちょっとした事で劇場型に発展する今の社会では、「誰もが」容易に予想出来る事です。

誰も知らないミズーリへ引っ越し、自分だけが他人のエイミーの孤独。姑の看病。小姑との確執など、まるで日本かと思う「嫁」の憂鬱。ニックも夫婦の間柄に始終介入してきたであろう、エイミーの両親への反発が透けて見える。結婚とは夫婦だけではなく、お互いの親兄弟とも縁続きになる事です。沸々と抱えていた問題が、この事件で一気に噴き出す様子は、結婚の厄介さは、夫婦だけの問題ではない事を知らしめています。

エイミーの両親は精神医で、父は娘をモデルにした「アメイジング・エイミー」と言う児童書をシリーズで発刊。完璧な本の中のエイミーは父の創作で、実存の彼女はハーバード大学出の才媛でありながら、本のエイミーとの乖離にコンプレックスを抱えています。何故大人の女性の失踪なのに、タイトルはladyでもwomanでもなく、girlなのか?「アメイジング・エイミー」に呪縛されている、エイミーの気持ちを表しているのだと思いました。

精神科医の両親は、そんな娘に気づいているはず(特に母親)なのに、見て見ぬふりです。結婚は新たな自分の人生の構築であり、両親とは距離を置いても良いはずなのに、それでも親を捨てきれぬエイミー。ニックもまた、子供の頃に自分たち兄妹と母親を捨てて行った父親が認知症となり、今は後見人。彼や妹も、憎みながらも父親を捨てきれない。家族と言う厄介さ。

結婚とはともに将来を築くだけではなく、相手の過去も受け入れる事です。だからお互いの家族は結婚生活の一部分となるわけですが、何を優先順位にするかで、夫婦の間に絆が生まれたり、亀裂が生じるのです。

事件の行く末は二転三転、利用されていたはずのマスコミを逆に利用する様子の狡猾さは、実は警察にも向けられていました。でもどんなに完璧でも、人はミスをするし、隙を突く人はいるものです。これからどうなるんだろう?と思っていたら、あっと驚く驚愕の展開が待っていました。

「夫婦はこういうものでしょう?」と言うエイミーの言葉は、そうであるとも、そうでないとも言えます。夫婦とは一様にこういうもの、とは言い切れない。例えば、常に連れ合いは離婚を考えているのに、あなたは一度も離婚を考えた事がない、自分たちは「完璧な」夫婦であると信じている、とかね。

ロザムンド・パイクは、良い女優さんだとは思っていましたが、今回は本当にびっくりの素晴らしさ。これが本領発揮なんでしょうか?美しいブロンドはゴージャスではく、エレガントで知的に映る彼女は、正にエイミーに打ってつけ。ベン・アフレックも、誠実感溢れる彼が演じる事で、逆に数々のニックの「悪業」が真実味を帯びて感じ、観客をかく乱します。


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12月14日(日)
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